2002年11月12日(火)の日記part2 術後初めの外来
2003年10月30日今日はとってもいい情報が手に入った!
もう嬉しくて嬉しくてたまらない!
以前から英会話を習いたいと思っていたのですが何処がおすすめか分らずにいました。
随分前だが、ブリタニカ英会話スクールがいいと聞いたので、電話をかけたら倒産していた。
ブリタニカというと百科事典で有名だったのでいいかも・・・と思ったのですが残念だった。
通っていた人は別の英会話スクールに変更してもらえたようですが、倒産後に電話してよかったです。
それからあまり調べる事もしないでいたのですが、
今日、ある方と話をしていたら、英会話教室をやっているというではありませんか!
しかも、その方のご主人はイギリス人!
マンツーマンで1時間1000円だって!!(安!)
日常会話くらいで良いからそんなにお金をかける程でもないし、良心的だ。確実に話せるようになると言っていた。
しかも近いから自転車で通えるし♪
長く通いたいと思っているので今からワクワクしています!
本当は母国語が英語の外国人に教わる方が良いそうだが、とりあえずここで修行しようと思います!
* * *
-----2002年11月12日(火)の日記part2-----
診察室を出ると物凄い脱力感。
とりあえず血液検査をして会計を済ませ玄関のところで電話をかける。
いつもお世話になっているKさん宅に電話をした。
すると、奥さんではなく、毎日絵手紙を送ってくれたご主人が出た。
涙が出そうになったがこらえて話をする。
その後、奥さんともう一人のKさん、母、主人に電話をした。
0期の癌であった事、上皮内腺癌といって少し厄介な事、子宮はとりあえず温存できるが油断が出来ない事などを話した。
主人に電話をしたら、今何処にいるの?と言うので病院と言うと、仕事も落ち着いたからか今から来てくれるという。
私はゼリーを買ってまたYさんのお見舞いに行く。
この日は教授回診があり、まだ終わっていなかったから少し待っていると、主治医の先生がエレベーターから出てきた。
私:「あっ先生!」 先生足を止める。
私:「先生、私もう普通の生活してもいいですか?」
先生:「基本的にはもう普通でいいです。」
私:「腺癌って、奥の方にあるかどうか分らないんですか?」
先生:「分らない。」
私:「今から主人が来るって言うんですが。」
先生:「これから教授回診だから。」
私:「それでは、また今度お願いします。」
だんだん図々しいお願いになってしまった。
それにしても沢山患者さんを受け持っているのに一人一人覚えているんですね。感動してしまった。
Yさんもこれから治療が始まるのでゼリーを渡し、あまり良い結果ではなかったことを伝えて帰る。
主人と合流したが、元気が出ない。
お昼を食べようと思ったが食欲もない。
コーヒーだけ飲んで、主人はまたすぐに会社に戻り、私は電車で家に帰った。
心配をした母が家に来てくれた。
母は子宮は取った方がいいと言う。
私の命の方が大切だと真剣だった。
でも私はまだ31。
子宮を無くすには辛い年だ。
そんな事は考えられない。
母とは言い合いをし、そのうち2人とも黙ってしまった。
母は私の為に野菜の沢山入ったスープを作ってくれた。
私はそれを黙って食べた。
母の懐かしい味がして涙がこぼれてきた。
母もそれを見て泣いていた。(バカな親子)
泣きながら母は言った。
頑張ろうねと。(・・・何を?)
・・・つづく
もう嬉しくて嬉しくてたまらない!
以前から英会話を習いたいと思っていたのですが何処がおすすめか分らずにいました。
随分前だが、ブリタニカ英会話スクールがいいと聞いたので、電話をかけたら倒産していた。
ブリタニカというと百科事典で有名だったのでいいかも・・・と思ったのですが残念だった。
通っていた人は別の英会話スクールに変更してもらえたようですが、倒産後に電話してよかったです。
それからあまり調べる事もしないでいたのですが、
今日、ある方と話をしていたら、英会話教室をやっているというではありませんか!
しかも、その方のご主人はイギリス人!
マンツーマンで1時間1000円だって!!(安!)
日常会話くらいで良いからそんなにお金をかける程でもないし、良心的だ。確実に話せるようになると言っていた。
しかも近いから自転車で通えるし♪
長く通いたいと思っているので今からワクワクしています!
本当は母国語が英語の外国人に教わる方が良いそうだが、とりあえずここで修行しようと思います!
* * *
-----2002年11月12日(火)の日記part2-----
診察室を出ると物凄い脱力感。
とりあえず血液検査をして会計を済ませ玄関のところで電話をかける。
いつもお世話になっているKさん宅に電話をした。
すると、奥さんではなく、毎日絵手紙を送ってくれたご主人が出た。
涙が出そうになったがこらえて話をする。
その後、奥さんともう一人のKさん、母、主人に電話をした。
0期の癌であった事、上皮内腺癌といって少し厄介な事、子宮はとりあえず温存できるが油断が出来ない事などを話した。
主人に電話をしたら、今何処にいるの?と言うので病院と言うと、仕事も落ち着いたからか今から来てくれるという。
私はゼリーを買ってまたYさんのお見舞いに行く。
この日は教授回診があり、まだ終わっていなかったから少し待っていると、主治医の先生がエレベーターから出てきた。
私:「あっ先生!」 先生足を止める。
私:「先生、私もう普通の生活してもいいですか?」
先生:「基本的にはもう普通でいいです。」
私:「腺癌って、奥の方にあるかどうか分らないんですか?」
先生:「分らない。」
私:「今から主人が来るって言うんですが。」
先生:「これから教授回診だから。」
私:「それでは、また今度お願いします。」
だんだん図々しいお願いになってしまった。
それにしても沢山患者さんを受け持っているのに一人一人覚えているんですね。感動してしまった。
Yさんもこれから治療が始まるのでゼリーを渡し、あまり良い結果ではなかったことを伝えて帰る。
主人と合流したが、元気が出ない。
お昼を食べようと思ったが食欲もない。
コーヒーだけ飲んで、主人はまたすぐに会社に戻り、私は電車で家に帰った。
心配をした母が家に来てくれた。
母は子宮は取った方がいいと言う。
私の命の方が大切だと真剣だった。
でも私はまだ31。
子宮を無くすには辛い年だ。
そんな事は考えられない。
母とは言い合いをし、そのうち2人とも黙ってしまった。
母は私の為に野菜の沢山入ったスープを作ってくれた。
私はそれを黙って食べた。
母の懐かしい味がして涙がこぼれてきた。
母もそれを見て泣いていた。(バカな親子)
泣きながら母は言った。
頑張ろうねと。(・・・何を?)
・・・つづく
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