入院日記 (退院から外来までの日記)
2003年10月28日一点の曇りもない生き方。
それほど強い物はない。
何を言われようが、陥れようとされても、堂々としていられる。
一点の曇りもない生き方は難しい様だが、心が定まっていればそれは簡単な事だ。
難しいのはその心をどう持続させていくかだ。
人は楽な方に流されるものだから。
腐った社会情勢、乱れきった情報の飛び交うこの時だからこそ必要なものがある。
今だ、今からでも遅くない。
過去を振り切って堂々と生きていこう!
・・・・・・昨日はそんな事を考えていた。
* * *
-----2002年10月27日〜11月11日までの日記-----
退院してから最初の外来までの日記です。
とにかく、この16日間腐れ切った生活を送ってきた。
安静をいい事に朝から晩までテレビを見続けていた。
ゴルフもできないし、ほとんど歩かず家にいた。
主人の両親には手術の事は教えていなかったのだが、入院している時に電話があったらしい。
私がいない雰囲気がしたらしく、問い詰められて入院をしている事がばれてしまった。
大した手術でもないし、主人の両親も高知県で国体があり忙しいだろうから特に言わなかった。
それにしても、たまたま来た電話なのに運が悪い。
退院してすぐ電話がかかってきて、今から来ると言う。
来たって何にも出来ないし、大丈夫だとお断りしたら、
「行ったらいかんが?」(行ってはいけないの?)
と泣かれてしまった。
電話だけでは様子が分らないから会いたいそうだ。
そこまで心配して頂いて、有り難いが、その時はそっとしておいてもらうのが一番のお見舞いだった。
今思うと、何にも出来ないし、うちに泊まっただろうけど、来てもらえば良かった。
うちの親にも別に来てもらわなくてもよかったが、
そうもいかず来てくれる。
父も何度か来てくれた。
父はほとんど話もせず、一生懸命掃除をしてくれた。テレビの裏まで・・・
さすがA型だ。
あまりにも病人扱いするので、自分もそんな気になってしまう。
近所の方もお花を持ってきてくれたり、カスピカヨーグルトがいいわよ!と言って作ってきてくれたり、
先日も書いたが、Kさんのご主人は毎日絵手紙を送ってくれた。
体の方は出血も殆ど無く、順調!
傷口がふさがらないように入れた管は1週間位で出てきた。
出たら外来の時持ってきてくださいと言われたので取っておく。
これまで何とか順調な退院生活!と思いきや・・・
外来2日前の日曜日、旦那が早く帰ってきたので焼肉を食べに行ってしまった。
辛い物を食べ、ビールを飲んでしまった。
家に着くと、途端に大量の出血。
血が止まらない。
『手術後に注意すること』という紙を頂いていたのでもう一度読んでみた。
(4)食事
何を召し上がっても大丈夫です。
刺激の強い食べ物やアルコール類は次回の外来受診までは控えて下さい。
・・・・。
こうして、出血が止まらないまま術後初の外来を迎えるのであった。
・・・つづく
それほど強い物はない。
何を言われようが、陥れようとされても、堂々としていられる。
一点の曇りもない生き方は難しい様だが、心が定まっていればそれは簡単な事だ。
難しいのはその心をどう持続させていくかだ。
人は楽な方に流されるものだから。
腐った社会情勢、乱れきった情報の飛び交うこの時だからこそ必要なものがある。
今だ、今からでも遅くない。
過去を振り切って堂々と生きていこう!
・・・・・・昨日はそんな事を考えていた。
* * *
-----2002年10月27日〜11月11日までの日記-----
退院してから最初の外来までの日記です。
とにかく、この16日間腐れ切った生活を送ってきた。
安静をいい事に朝から晩までテレビを見続けていた。
ゴルフもできないし、ほとんど歩かず家にいた。
主人の両親には手術の事は教えていなかったのだが、入院している時に電話があったらしい。
私がいない雰囲気がしたらしく、問い詰められて入院をしている事がばれてしまった。
大した手術でもないし、主人の両親も高知県で国体があり忙しいだろうから特に言わなかった。
それにしても、たまたま来た電話なのに運が悪い。
退院してすぐ電話がかかってきて、今から来ると言う。
来たって何にも出来ないし、大丈夫だとお断りしたら、
「行ったらいかんが?」(行ってはいけないの?)
と泣かれてしまった。
電話だけでは様子が分らないから会いたいそうだ。
そこまで心配して頂いて、有り難いが、その時はそっとしておいてもらうのが一番のお見舞いだった。
今思うと、何にも出来ないし、うちに泊まっただろうけど、来てもらえば良かった。
うちの親にも別に来てもらわなくてもよかったが、
そうもいかず来てくれる。
父も何度か来てくれた。
父はほとんど話もせず、一生懸命掃除をしてくれた。テレビの裏まで・・・
さすがA型だ。
あまりにも病人扱いするので、自分もそんな気になってしまう。
近所の方もお花を持ってきてくれたり、カスピカヨーグルトがいいわよ!と言って作ってきてくれたり、
先日も書いたが、Kさんのご主人は毎日絵手紙を送ってくれた。
体の方は出血も殆ど無く、順調!
傷口がふさがらないように入れた管は1週間位で出てきた。
出たら外来の時持ってきてくださいと言われたので取っておく。
これまで何とか順調な退院生活!と思いきや・・・
外来2日前の日曜日、旦那が早く帰ってきたので焼肉を食べに行ってしまった。
辛い物を食べ、ビールを飲んでしまった。
家に着くと、途端に大量の出血。
血が止まらない。
『手術後に注意すること』という紙を頂いていたのでもう一度読んでみた。
(4)食事
何を召し上がっても大丈夫です。
刺激の強い食べ物やアルコール類は次回の外来受診までは控えて下さい。
・・・・。
こうして、出血が止まらないまま術後初の外来を迎えるのであった。
・・・つづく
2002年10月26日(土)の日記 退院
2003年10月26日無理やり見ましたよ。レンタルビデオ。
しかも時間がないのに2本セットだった。(涙)
今日の昼までだったから旦那を送ってから流し見。
友達に、ロード・オブ・ザ・リングの誰かがかっこいいから見て!
と言われていて、目的のビデオがなくてこれを借りたのです。
内容はともかく、どの人の事か分らなかった。皆かっこよかった・・・。
* * *
-----2002年10月26日(土) 退院-----
朝から雨が降っていた。
看護婦さんが退院について話してくれる。
次の外来は11月12日。
帰りの支度をする。
帰りは旦那が車で迎えに来てくれる事になっていた。
道が混んでいるのか、なかなか来ない。
別に先生とのお別れもなく、迎えが来たら帰っていいみたい。
入院が楽しかった事もあり、名残惜しい。こんな風に思うなんて・・・思ってもみなかた。
旦那が来て病室の皆さんと別れの挨拶をする。
私は会計を済ませる。
3泊4日で49990円だった。
入院してから、毎日私宛に絵手紙が届いていた。
いつも私の事を可愛がってくれる近所のKさんのご主人からだった。
退院のこの日の分は受け取れずに帰ってしまったがちゃんと転送されて来た。
この後、Kさんからの絵手紙は私が退院した後も、最初の外来の日まで毎日届けられて来る。
絵の具で絵を描き、心温まる言葉を添えてずーっと応援してくれた。1日も欠かさずに。今でもそれは私の宝物である。
車から母に連絡する。母は旦那にもお礼を言い、家に着いたら来てくれるとの事。
四谷、新宿を通り、山手通りから家に帰る。
旦那はちゃんと家に帰っていた様だ。ホッとする。奥さんがこんな事になってるんだもんね。そんな時くらいはまじめにしているのかな。
お昼は近くのファミレス。
もう普通に生活出来ると思うが2週間は安静にしないといけない。
お昼を食べて、旦那は会社へ行ってしまった。
今日は朝から有難う。
午後から母がきてくれる。
もう一人でも大丈夫だが、親として何かしてあげたいようだ。
母は体が丈夫な方ではないのであまり無理して来て欲しくなかった。
この頃は気が張っていた様だが、案の定疲れが出てダウンしてしまった。
結婚してから私はずーっと母に心配ばかりさせて悲しませてきた。
その度に泣き虫の母は一緒になって泣いてくれた。
私ももういい年になったし、
いつまでも母を悲しませてはいけない。
心配させてはいけない。
健康にならなければ。・・・そう思う。
---つづく
この後、引き続き、検査結果等書かせていただきます。
しかも時間がないのに2本セットだった。(涙)
今日の昼までだったから旦那を送ってから流し見。
友達に、ロード・オブ・ザ・リングの誰かがかっこいいから見て!
と言われていて、目的のビデオがなくてこれを借りたのです。
内容はともかく、どの人の事か分らなかった。皆かっこよかった・・・。
* * *
-----2002年10月26日(土) 退院-----
朝から雨が降っていた。
看護婦さんが退院について話してくれる。
次の外来は11月12日。
帰りの支度をする。
帰りは旦那が車で迎えに来てくれる事になっていた。
道が混んでいるのか、なかなか来ない。
別に先生とのお別れもなく、迎えが来たら帰っていいみたい。
入院が楽しかった事もあり、名残惜しい。こんな風に思うなんて・・・思ってもみなかた。
旦那が来て病室の皆さんと別れの挨拶をする。
私は会計を済ませる。
3泊4日で49990円だった。
入院してから、毎日私宛に絵手紙が届いていた。
いつも私の事を可愛がってくれる近所のKさんのご主人からだった。
退院のこの日の分は受け取れずに帰ってしまったがちゃんと転送されて来た。
この後、Kさんからの絵手紙は私が退院した後も、最初の外来の日まで毎日届けられて来る。
絵の具で絵を描き、心温まる言葉を添えてずーっと応援してくれた。1日も欠かさずに。今でもそれは私の宝物である。
車から母に連絡する。母は旦那にもお礼を言い、家に着いたら来てくれるとの事。
四谷、新宿を通り、山手通りから家に帰る。
旦那はちゃんと家に帰っていた様だ。ホッとする。奥さんがこんな事になってるんだもんね。そんな時くらいはまじめにしているのかな。
お昼は近くのファミレス。
もう普通に生活出来ると思うが2週間は安静にしないといけない。
お昼を食べて、旦那は会社へ行ってしまった。
今日は朝から有難う。
午後から母がきてくれる。
もう一人でも大丈夫だが、親として何かしてあげたいようだ。
母は体が丈夫な方ではないのであまり無理して来て欲しくなかった。
この頃は気が張っていた様だが、案の定疲れが出てダウンしてしまった。
結婚してから私はずーっと母に心配ばかりさせて悲しませてきた。
その度に泣き虫の母は一緒になって泣いてくれた。
私ももういい年になったし、
いつまでも母を悲しませてはいけない。
心配させてはいけない。
健康にならなければ。・・・そう思う。
---つづく
この後、引き続き、検査結果等書かせていただきます。
2002年10月25日(金)の日記 手術翌日。点滴、導尿管からの開放
2003年10月25日今日は例の100円ショップの株主優待商品届きましたよ!
10月度商品
バスピロー--------1点
入浴剤-----------4点
絶対売れ残り商品と確信!でもまぁ今回も許してあげましょう!
今日は気ばかり焦っていて、実りのない1日になってしまった。
先週借りたレンタルビデオも見ないで返す事になってしまうかも・・・
* * *
-----2002年10月25日(金)自由の身!?-----
朝が来た!
術後からズーっとついていた導尿管早くはずして欲しい。
確か、8時の朝食前に導尿管と点滴ははずしてもらったような気がする。
8時朝食。お粥だった。前日から何も食べていなかったので全部食べる。
次に看護婦さんが、歩く時言ってください。と言う。付き添ってくれるようだ。
初めは大袈裟だなぁと思ったが、1日歩かなかっただけでも、足はフラフラするそうだ。
早速、歩いてみる。確かにフワフワした感じ。
人間は歩かないと足が弱るんだ・・・と実感。
母に電話を入れる。今日は来なくても大丈夫だよ!
歯を磨きに行く。
そこで昨日、一緒に浣腸で苦しんだおばあちゃんと一緒になった。
お互い覚えていて、色々と話をした。
そのおばあちゃんは手術を3ヶ月待ったと言っていた。夏物を揃えて準備していたが、入れ替えてきたという。
それを思うと、私は早かった。初診から23日目で入院だった。しかも、初診、組織診、次の外来、そして、手術。すべて生理から外れていた。
おばあちゃんは、手術が怖くて、手術室ではずーっと目をつぶっていたそうだ。可愛そうに。
手術も怖いけど、麻酔が怖かったそうだ。
それを聞いて、私だけじゃないんだ。このおばあちゃんも麻酔についてはかなり心配していたし。
部屋に戻ると同室のYさんが様子を見に来てくれる。
本当にいい人だった。おかげで楽しい入院となった。膣の中には沢山ガーゼが入っていて、手品の様に出てくるんだよ!と教えてくれる。
そんな話の後、内診をするからとM先生が来てくれる。M先生と廊下を歩いていると、向こうから主治医のK先生が歩いてきた。
私はあっ先生だ!と思ったが、言葉を交わすわけでもなく、私は軽く会釈をする。先生もチョッと微笑んで会釈をしてくださった。先生の微笑んだ顔、はじめて見たかも!エクボが出て優しそう!私は頭はぼさぼさだったし、先生私の事分ったかなぁ。
内診では、どうやら他にも勉強のために何人かの研修医の人がいる気配。
手品の様にガーゼを取ったか見えないが、内診のとき、3時の方向に・・・・とか、説明をしている。
私はまだ26歳の時、ある大きい病院の婦人科で、私のあそこを勉強の材料にされて看護婦に説明をされた事がある。この時は、「勝手に私ので勉強しないでよ!自分達ので見せ合えばいいじゃない!!」と思ったものだが、今では、どうぞいいお医者さんになってくださいね。と思えるようになった。年のせいかな・・・。
ガーゼもとれて、いよいよトイレに行ってみようと思う。お腹に力を入れるのが怖い。
血もそれほど出ていなくてトイレもクリア!
お昼も食べて元気元気!
2時頃、回診。
この日はちょうど主治医のK先生が回診をしていた。
私のベッドのカーテンを開けて、一言。
「では2週間後ね。」
それだけ?思わず、「先生!」と呼び止めてみたけど、私も話す事ないので、「あ、2週間後ですね。」
と言って10秒くらいの回診で終わってしまった。
回診ってどんな意味があるのですかねぇ。先生にしてみたらすべての患者さんの把握をしないといけないのかしら。患者さんも、偉い先生に診てもらえると安心するのかな?
回診が終わるとまたYさんと楽しくお話!
でもYさんは、この日一度退院する。またすぐに入院して抗がん剤治療をしないといけないそうだが。
私は別れる前に手紙を書いた。
Yさんは抗がん剤で髪の毛が抜けていたが、かつらをかぶって、化粧をすると凄く美人だった。スッピンでもいけていたが、きれいな人。
手紙を渡してお別れをする。
M先生が来たので聞きたいことがあると言うと、待合室に行ってくれた。
M先生は女の先生だったので話しやすかった。
私の病気の事も詳しく教えてくれた。腺癌の可能性がある事も言っていた。でもただの腺癌と、上皮内腺癌は違うからという所まで説明してくれる。
夕方元気にしていたら、また点滴を打つと言う。
一気にテンションが下がる。もう終わりだと思ったのに。でもこの点滴で最後との事。おとなしくまたベッドで寝ていた。
点滴も終わった頃旦那が来てくれた。来てくれると思わなかったから嬉しかった。
手にはまた大きな袋を沢山持っていた。
3人の先生方と看護婦さんにとお菓子を買ってきた。
M先生に来てもらい、お菓子を渡す。
そして旦那はまたすぐに帰ってしまった。
私の隣りのベッドにはここの大学病院の大学生がいた。ボーイッシュな娘だった。友達がお見舞いにきていたが、英語でしゃべっていた。さすがに頭がいいね。うちの旦那の事、かっこいいっすね!とらやの袋がまたいいっすよ!と誉めてくれる。
彼女は卵巣から、髪の毛や歯が出てきたといっていた。皮様のう腫だな。人って不思議だ。
Yさんがいなくなった病室は何処となく寂しいが、向いの患者さんが話し掛けてくれる。
そのOさんはもう子供をつくらないので、子宮を全摘するそうだ。本人は吹っ切れている様子。
明日は退院だ。
---つづく
追伸
入院している間、皆もちろんスッピンだった。
初めは抵抗があったが、退院する頃には素顔は一番美しいなぁと思う。
きっと退院して外来で会っても誰だか分らないだろう。そんな姿よりも素顔がいいと思った。
あっ、でも社会人はお化粧はマナーですからね!
スッピンでお仕事はいけません。
10月度商品
バスピロー--------1点
入浴剤-----------4点
絶対売れ残り商品と確信!でもまぁ今回も許してあげましょう!
今日は気ばかり焦っていて、実りのない1日になってしまった。
先週借りたレンタルビデオも見ないで返す事になってしまうかも・・・
* * *
-----2002年10月25日(金)自由の身!?-----
朝が来た!
術後からズーっとついていた導尿管早くはずして欲しい。
確か、8時の朝食前に導尿管と点滴ははずしてもらったような気がする。
8時朝食。お粥だった。前日から何も食べていなかったので全部食べる。
次に看護婦さんが、歩く時言ってください。と言う。付き添ってくれるようだ。
初めは大袈裟だなぁと思ったが、1日歩かなかっただけでも、足はフラフラするそうだ。
早速、歩いてみる。確かにフワフワした感じ。
人間は歩かないと足が弱るんだ・・・と実感。
母に電話を入れる。今日は来なくても大丈夫だよ!
歯を磨きに行く。
そこで昨日、一緒に浣腸で苦しんだおばあちゃんと一緒になった。
お互い覚えていて、色々と話をした。
そのおばあちゃんは手術を3ヶ月待ったと言っていた。夏物を揃えて準備していたが、入れ替えてきたという。
それを思うと、私は早かった。初診から23日目で入院だった。しかも、初診、組織診、次の外来、そして、手術。すべて生理から外れていた。
おばあちゃんは、手術が怖くて、手術室ではずーっと目をつぶっていたそうだ。可愛そうに。
手術も怖いけど、麻酔が怖かったそうだ。
それを聞いて、私だけじゃないんだ。このおばあちゃんも麻酔についてはかなり心配していたし。
部屋に戻ると同室のYさんが様子を見に来てくれる。
本当にいい人だった。おかげで楽しい入院となった。膣の中には沢山ガーゼが入っていて、手品の様に出てくるんだよ!と教えてくれる。
そんな話の後、内診をするからとM先生が来てくれる。M先生と廊下を歩いていると、向こうから主治医のK先生が歩いてきた。
私はあっ先生だ!と思ったが、言葉を交わすわけでもなく、私は軽く会釈をする。先生もチョッと微笑んで会釈をしてくださった。先生の微笑んだ顔、はじめて見たかも!エクボが出て優しそう!私は頭はぼさぼさだったし、先生私の事分ったかなぁ。
内診では、どうやら他にも勉強のために何人かの研修医の人がいる気配。
手品の様にガーゼを取ったか見えないが、内診のとき、3時の方向に・・・・とか、説明をしている。
私はまだ26歳の時、ある大きい病院の婦人科で、私のあそこを勉強の材料にされて看護婦に説明をされた事がある。この時は、「勝手に私ので勉強しないでよ!自分達ので見せ合えばいいじゃない!!」と思ったものだが、今では、どうぞいいお医者さんになってくださいね。と思えるようになった。年のせいかな・・・。
ガーゼもとれて、いよいよトイレに行ってみようと思う。お腹に力を入れるのが怖い。
血もそれほど出ていなくてトイレもクリア!
お昼も食べて元気元気!
2時頃、回診。
この日はちょうど主治医のK先生が回診をしていた。
私のベッドのカーテンを開けて、一言。
「では2週間後ね。」
それだけ?思わず、「先生!」と呼び止めてみたけど、私も話す事ないので、「あ、2週間後ですね。」
と言って10秒くらいの回診で終わってしまった。
回診ってどんな意味があるのですかねぇ。先生にしてみたらすべての患者さんの把握をしないといけないのかしら。患者さんも、偉い先生に診てもらえると安心するのかな?
回診が終わるとまたYさんと楽しくお話!
でもYさんは、この日一度退院する。またすぐに入院して抗がん剤治療をしないといけないそうだが。
私は別れる前に手紙を書いた。
Yさんは抗がん剤で髪の毛が抜けていたが、かつらをかぶって、化粧をすると凄く美人だった。スッピンでもいけていたが、きれいな人。
手紙を渡してお別れをする。
M先生が来たので聞きたいことがあると言うと、待合室に行ってくれた。
M先生は女の先生だったので話しやすかった。
私の病気の事も詳しく教えてくれた。腺癌の可能性がある事も言っていた。でもただの腺癌と、上皮内腺癌は違うからという所まで説明してくれる。
夕方元気にしていたら、また点滴を打つと言う。
一気にテンションが下がる。もう終わりだと思ったのに。でもこの点滴で最後との事。おとなしくまたベッドで寝ていた。
点滴も終わった頃旦那が来てくれた。来てくれると思わなかったから嬉しかった。
手にはまた大きな袋を沢山持っていた。
3人の先生方と看護婦さんにとお菓子を買ってきた。
M先生に来てもらい、お菓子を渡す。
そして旦那はまたすぐに帰ってしまった。
私の隣りのベッドにはここの大学病院の大学生がいた。ボーイッシュな娘だった。友達がお見舞いにきていたが、英語でしゃべっていた。さすがに頭がいいね。うちの旦那の事、かっこいいっすね!とらやの袋がまたいいっすよ!と誉めてくれる。
彼女は卵巣から、髪の毛や歯が出てきたといっていた。皮様のう腫だな。人って不思議だ。
Yさんがいなくなった病室は何処となく寂しいが、向いの患者さんが話し掛けてくれる。
そのOさんはもう子供をつくらないので、子宮を全摘するそうだ。本人は吹っ切れている様子。
明日は退院だ。
---つづく
追伸
入院している間、皆もちろんスッピンだった。
初めは抵抗があったが、退院する頃には素顔は一番美しいなぁと思う。
きっと退院して外来で会っても誰だか分らないだろう。そんな姿よりも素顔がいいと思った。
あっ、でも社会人はお化粧はマナーですからね!
スッピンでお仕事はいけません。
2002年10月24日(木)の日記 手術
2003年10月24日去年の今日が手術の日だったんだよね。しみじみ。
あの時は今より2キロは痩せていたねぇ。
毎日飲んでいるヘルシア緑茶も3ヶ月経。
毎日1本3ヶ月飲むと体脂肪が10%減るとなっているけど(体脂肪の多い人だと思う)今のところ3%減っている。まぁこんなもんでしょう。
ヘルシア緑茶は花王から出ているが、毎日1本180円。3ヶ月で16200円!消費税を入れて17010円!!!こんなに貢献してしまった・・・
でも少し苦いけど美味しいから引き続き飲む事にしましょう。一応HNだしね。
* * *
-----2002年10月24日(木) いよいよ手術の日-----
朝食はもちろん抜き。
看護婦さんが来て、これからの説明をしてくれる。
まず浣腸をしてから点滴をする。
すると次にM先生が来て点滴をしようとするので、浣腸をしてからにしてもらう。
ここの病院、昨日の麻酔の件といい、先生、看護婦、他の科と話が通ってないように思う。たまたまかな?
点滴したまま浣腸はないでしょう!
浣腸をしてもらう。
廊下の椅子で10分位待つように言われて待っていると、隣りで同じように浣腸をしたおばあちゃんが
「あたしゃもう無理だよ!我慢できない!」
と言っているので
「頑張れるだけ頑張ってどうしてもダメだったら行っちゃっていいんじゃないんですか?」
と言うと、我慢できなかったらしく行ってしまった。
無事終わり、ベッドで待っていると、昨日割り箸をくれたYさんが来てくれて、色んな話をしてくれる。他の病室の患者さんも来て、3人で話をした。
パジャマも誉めてくれる。いい色だって!
この時も手術に対しての不安は全くなかった。
午後1時から手術の予定。
ほぼ予定通り準備が始まる。
手術着に着替えて下着も取る。(悲)
旦那と母も来てくれる。
ストレッチャーに移りいよいよ手術室へ。
同室のYさんが手を振って見送ってくれる。
私も笑顔で手を振る。
本当に緊張していなかった。
母と旦那と手を握ってさよーならー。
その時私は、一人で歩いていけるんだけど・・・
大袈裟だなぁ。と思うと同時に、運んでくれている看護婦さんにスミマセン、お世話になります。という気持ちだった。
エレベーターに乗って手術室に入る。
またまた別のストレッチャーに移される。
手術室は、テレビで見たのと同じで感動した。
面白くて冷静に辺りを見渡す。
研修医の2人は早くに来た。
枕元にいた麻酔科の人が、全身でいきますから!
と言ったので、思わず嬉しくて、宜しくお願いします!と元気に言った。
この手術直前まで下半身麻酔だと思っていた。
下半身麻酔は後で頭痛が長く続いたり、痛みを訴える人が多いそうです。
それに、腰椎に打つなんて痛いに決まってる。
でもそれでやるなら仕方がない。と覚悟をしていたので本当に良かった!
少しして主治医のK先生が来る。
皆、手術着着てなかった気がするけど思い違いかしら・・・
いつもと一緒だった気がする。白衣着てたような気が・・・
たいした手術ではないのかなぁ。
皆そろったのに、麻酔を打つ人が来ない。
あたまにキャップをかぶせられる。
そうだ!と思い、先生を呼ぶ。
私:「先生。」 先生が私の所まで来てくれる。
私:「採った物をうちの人に見せますよね。」 先生うなずく。
私:「私も見たいんですけど・・・」
先生:「あなたはー無理ですよ。麻酔かかってるし。
採った物を写真撮りますから。それでいいですね。」 私、うなずく。
少しすると麻酔をかける人が来る。
いよいよ始まる。
麻酔をかける人が、
「指の先がしびれてきたらもう麻酔がかかりますから。」という。
麻酔薬は点滴の間から入れるので本当に痛くないです。
でも、そのしびれるって、どの位しびれるの?怖いじゃない。
そして、薬が入れられる。私は目をつぶって、あっ指先がぴりぴりしてきたかも・・・・・・ここで意識がなくなっていました。
名前を呼ばれなくても、一人で目が覚める。
まだ手術室。先生はもういない。
部屋に運ばれる。
母と旦那の姿が見える。
ベッドに付くと、寒くて寒くてふるえた。看護婦さんに言うと、電気アンカーを持ってきてくれる。
母は私の足をさすって、一生懸命温めようとしてくれる。
落ち着くと、少し痛みがあった。
手術前看護婦さんに術後痛いですか?と聞いたら痛みを訴える人もいますので我慢しなくてもいいですよ。といっていたので、座薬を1つ入れてもらう。
酸素マスクもしていたが、すぐにはずしてしまった。
ここで、母と旦那には帰ってもらった。
旦那は後で来て、ビニールに氷をいれて冷やした飲み物を持ってきてくれる。雑誌も。
少し寝たら落ち着いたのでゴルフの本を読んでいた。
左手は点滴をしていたので右手だけで読むのは難しい。重い本だと持てないし、字が小さいと読めないからゴルフの本がちょうど良かった。
ちなみにこの本は、還暦でプロゴルファーになった古市さんが書いた本なのだが、この人は素晴らしい人だ。読んでいて感動しました。
この人は、阪神大震災を経験してしまうのですが、すべてを失い、1からのスタートをする。ある日車のトランクを開けたらいつもは家に置くはずのゴルフバッグが入っていた。それを見て自分にはこれしかない!と思いプロを目指すのだ。これまでゴルフの腕前はクラチャンをとる程だった。
しかし、お金はない。バンカーの練習は海の砂浜でやる。そんな中、ゴルフに反対の奥さんがプロテストを受けるために必要な100万をそっと渡してくれる。
古市さんがプロになってから、1冊の本をジャーナリストの方が書いてくれた。私は、これで古市さんはお金が手に入るね、良かったね!と思っていたら、この入院していた時に読んだ本の中に、本の収益金はすべて寄付したと書いてあった。
誰にでも出来る事じゃない。素晴らしい人がいるもんだと感心しました。
本を読んでいると、その先に主治医のK先生の姿が見えた。
先生は、「もう本読んでいるんですか?」とビックリしていた。
私もまさか先生が来てくれると思っていなかったのでボーっとして本を閉じる。
先生がまた、「もう本読んでいるんですか?」といったので、私は本を枕元に置いた。先生はチラッと本の方に目をやっていた。何読んでいるのかと思ったかな?↑のような内容の本読んでました。
先生:「どうですか?」
私:「少し痛かったので座薬を入れてもらいました。
それから、寒かったので電気アンカーを入れてもらいました。」
先生は術後寒くなる事は多いみたいで、あー、とうなずいて、行ってしまった。
先生は本当に余計な事はしゃべらない。
でも、様子を見に来てくれて嬉しかった。(あたりまえなのかもしれませんが)
それから、看護婦さんは度々来てくれて出血や血圧の確認を夜中もずーっとやってくれた。本当に頭が下がります。
私はなるべく動かないようにと言われたので、ほとんど動かないようにしていた。
そしてこの時思った事は、寝たきりの人の大変さだった。
同じ格好で寝ることの辛さ。
寝返りの出来ない辛さ。
床ずれは痛いだろう。
たかが一晩なのに動けない事が辛かった。
こうして私の手術は無事終了しました。
先生、皆様本当にお世話になりました。
---つづく
あの時は今より2キロは痩せていたねぇ。
毎日飲んでいるヘルシア緑茶も3ヶ月経。
毎日1本3ヶ月飲むと体脂肪が10%減るとなっているけど(体脂肪の多い人だと思う)今のところ3%減っている。まぁこんなもんでしょう。
ヘルシア緑茶は花王から出ているが、毎日1本180円。3ヶ月で16200円!消費税を入れて17010円!!!こんなに貢献してしまった・・・
でも少し苦いけど美味しいから引き続き飲む事にしましょう。一応HNだしね。
* * *
-----2002年10月24日(木) いよいよ手術の日-----
朝食はもちろん抜き。
看護婦さんが来て、これからの説明をしてくれる。
まず浣腸をしてから点滴をする。
すると次にM先生が来て点滴をしようとするので、浣腸をしてからにしてもらう。
ここの病院、昨日の麻酔の件といい、先生、看護婦、他の科と話が通ってないように思う。たまたまかな?
点滴したまま浣腸はないでしょう!
浣腸をしてもらう。
廊下の椅子で10分位待つように言われて待っていると、隣りで同じように浣腸をしたおばあちゃんが
「あたしゃもう無理だよ!我慢できない!」
と言っているので
「頑張れるだけ頑張ってどうしてもダメだったら行っちゃっていいんじゃないんですか?」
と言うと、我慢できなかったらしく行ってしまった。
無事終わり、ベッドで待っていると、昨日割り箸をくれたYさんが来てくれて、色んな話をしてくれる。他の病室の患者さんも来て、3人で話をした。
パジャマも誉めてくれる。いい色だって!
この時も手術に対しての不安は全くなかった。
午後1時から手術の予定。
ほぼ予定通り準備が始まる。
手術着に着替えて下着も取る。(悲)
旦那と母も来てくれる。
ストレッチャーに移りいよいよ手術室へ。
同室のYさんが手を振って見送ってくれる。
私も笑顔で手を振る。
本当に緊張していなかった。
母と旦那と手を握ってさよーならー。
その時私は、一人で歩いていけるんだけど・・・
大袈裟だなぁ。と思うと同時に、運んでくれている看護婦さんにスミマセン、お世話になります。という気持ちだった。
エレベーターに乗って手術室に入る。
またまた別のストレッチャーに移される。
手術室は、テレビで見たのと同じで感動した。
面白くて冷静に辺りを見渡す。
研修医の2人は早くに来た。
枕元にいた麻酔科の人が、全身でいきますから!
と言ったので、思わず嬉しくて、宜しくお願いします!と元気に言った。
この手術直前まで下半身麻酔だと思っていた。
下半身麻酔は後で頭痛が長く続いたり、痛みを訴える人が多いそうです。
それに、腰椎に打つなんて痛いに決まってる。
でもそれでやるなら仕方がない。と覚悟をしていたので本当に良かった!
少しして主治医のK先生が来る。
皆、手術着着てなかった気がするけど思い違いかしら・・・
いつもと一緒だった気がする。白衣着てたような気が・・・
たいした手術ではないのかなぁ。
皆そろったのに、麻酔を打つ人が来ない。
あたまにキャップをかぶせられる。
そうだ!と思い、先生を呼ぶ。
私:「先生。」 先生が私の所まで来てくれる。
私:「採った物をうちの人に見せますよね。」 先生うなずく。
私:「私も見たいんですけど・・・」
先生:「あなたはー無理ですよ。麻酔かかってるし。
採った物を写真撮りますから。それでいいですね。」 私、うなずく。
少しすると麻酔をかける人が来る。
いよいよ始まる。
麻酔をかける人が、
「指の先がしびれてきたらもう麻酔がかかりますから。」という。
麻酔薬は点滴の間から入れるので本当に痛くないです。
でも、そのしびれるって、どの位しびれるの?怖いじゃない。
そして、薬が入れられる。私は目をつぶって、あっ指先がぴりぴりしてきたかも・・・・・・ここで意識がなくなっていました。
名前を呼ばれなくても、一人で目が覚める。
まだ手術室。先生はもういない。
部屋に運ばれる。
母と旦那の姿が見える。
ベッドに付くと、寒くて寒くてふるえた。看護婦さんに言うと、電気アンカーを持ってきてくれる。
母は私の足をさすって、一生懸命温めようとしてくれる。
落ち着くと、少し痛みがあった。
手術前看護婦さんに術後痛いですか?と聞いたら痛みを訴える人もいますので我慢しなくてもいいですよ。といっていたので、座薬を1つ入れてもらう。
酸素マスクもしていたが、すぐにはずしてしまった。
ここで、母と旦那には帰ってもらった。
旦那は後で来て、ビニールに氷をいれて冷やした飲み物を持ってきてくれる。雑誌も。
少し寝たら落ち着いたのでゴルフの本を読んでいた。
左手は点滴をしていたので右手だけで読むのは難しい。重い本だと持てないし、字が小さいと読めないからゴルフの本がちょうど良かった。
ちなみにこの本は、還暦でプロゴルファーになった古市さんが書いた本なのだが、この人は素晴らしい人だ。読んでいて感動しました。
この人は、阪神大震災を経験してしまうのですが、すべてを失い、1からのスタートをする。ある日車のトランクを開けたらいつもは家に置くはずのゴルフバッグが入っていた。それを見て自分にはこれしかない!と思いプロを目指すのだ。これまでゴルフの腕前はクラチャンをとる程だった。
しかし、お金はない。バンカーの練習は海の砂浜でやる。そんな中、ゴルフに反対の奥さんがプロテストを受けるために必要な100万をそっと渡してくれる。
古市さんがプロになってから、1冊の本をジャーナリストの方が書いてくれた。私は、これで古市さんはお金が手に入るね、良かったね!と思っていたら、この入院していた時に読んだ本の中に、本の収益金はすべて寄付したと書いてあった。
誰にでも出来る事じゃない。素晴らしい人がいるもんだと感心しました。
本を読んでいると、その先に主治医のK先生の姿が見えた。
先生は、「もう本読んでいるんですか?」とビックリしていた。
私もまさか先生が来てくれると思っていなかったのでボーっとして本を閉じる。
先生がまた、「もう本読んでいるんですか?」といったので、私は本を枕元に置いた。先生はチラッと本の方に目をやっていた。何読んでいるのかと思ったかな?↑のような内容の本読んでました。
先生:「どうですか?」
私:「少し痛かったので座薬を入れてもらいました。
それから、寒かったので電気アンカーを入れてもらいました。」
先生は術後寒くなる事は多いみたいで、あー、とうなずいて、行ってしまった。
先生は本当に余計な事はしゃべらない。
でも、様子を見に来てくれて嬉しかった。(あたりまえなのかもしれませんが)
それから、看護婦さんは度々来てくれて出血や血圧の確認を夜中もずーっとやってくれた。本当に頭が下がります。
私はなるべく動かないようにと言われたので、ほとんど動かないようにしていた。
そしてこの時思った事は、寝たきりの人の大変さだった。
同じ格好で寝ることの辛さ。
寝返りの出来ない辛さ。
床ずれは痛いだろう。
たかが一晩なのに動けない事が辛かった。
こうして私の手術は無事終了しました。
先生、皆様本当にお世話になりました。
---つづく
2002年10月23日(水)の日記 入院当日
2003年10月23日毎日毎日忙しくて忙しくて分刻みの行動。
昨日は大好きなゴルフも休むほど忙しい。
夜、9時半過ぎ頃まで大忙しで用事も済み、家に帰ろうとしたら、駅から旦那の姿が見えた。携帯を手にして怪しい。何処かにかけようとしていたのか、メールをしようとしていたのか、声を掛けるとビビッたのか挙動不審。何処に電話してるの?というと、違うよ!だって。・・・何が違うのだろう?
あやしい旦那を後ろに乗せて、自転車で2人乗りをして家に帰った。
よく会社帰りに歩きながら電話をしている人いるけど、家にかけている人は少ないんじゃないかと思うんだけど考えすぎでしょうか?
浮気なら分んないようにやって下さい。
* * *
-----2002年10月23日(水)入院当日-----
小さなトランクをズルズルひきながら旦那と一緒に家を出る。旦那と一緒に歩けるのがなんだか嬉しい。旅行気分と言いたい所だけど、行き先は病院。
旦那とは新宿でお別れ。私は乗り換えて病院へ。入院する人は大抵付き添いの人がいるが、私は1人で全然平気!
手続きを終えて病室に案内される。
私はベッドを見た瞬間、『快適そう♪』と思った。
真っ白の寝具。廊下側なので壁に寄りかかれる。なかなか良いんじゃない!
枕元に目をやると主治医の先生の名前が3人書いてあった。どうしよう・・・
実は一応お金を包んできたのだが、1人分しか持ってこなかった。
主治医はK先生だが、後の2人は研修医のようだ。
一人は男、もう一人は女の先生。この先この男の先生をK2先生、女の先生をM先生とします。
看護婦さんが来たので聞いたら、お金は包まなくてもいいそうだ。そりゃそう言うよねぇ。
その後、すぐK2先生が、「K先生は学会でカンファレンスは夜の7時頃になります。」
と言うので、急いで母に電話を入れたがもう出てしまっていた。
仕方ないので入院にあたってのアンケートを書く。体重を計ったり一通り終えると何もする事がないのでチョッとぷらぷらしようとエレベーターの所に行く。すると母がエレベーターから出てきた。あっ!と手を握り合う。危なくすれ違う所だった。
そのうちにお昼になる。なんだかんだと時間が経つのが早い。箸を忘れたのでスプーンを借りて食べる。母はみかんやら、何やら持ってきていたがこの年の人って何でこういうもの持ってくるんでしょう。病室にみかんの匂いが漂って少し恥ずかしかった。
そうこうしていると麻酔科の先生が来て「腰からやります。」と言う。私は全身だと思っていたので何度も聞き返したが、腰の方が安全だという。全身麻酔だと負担が大きいようだ。だが、最終的には自分で決めるそう。(涙)
すごーくやな気分になったが、母はその先生の話を聞いて、腰椎麻酔にしなさい!と言う。
もう2時をまわっていたかな。母もお昼を食べに行く。7時まで時間をつぶしてくるというので、私も玄関まで一緒に行く。
近所の人に、腰椎麻酔になりそうだとメールを送る。
暇なので、売店などをフラフラしていたら、今度は旦那を発見!これまたばったりと会った。
旦那は伊勢丹の袋を持っていた。
何してたの?と聞くと、3時から面会になってたから、それまで時間つぶしていたそうだ。
そんなことは全く気にせず入ってきた母は凄いと思う。色んな意味で。
伊勢丹の袋の中身は大体検討がついていた。
「ゴルフウエアだと嬉しけど、パジャマでしょう!」と聞くとニッと微笑んだ。
ベッドで開けてみたら、バーバリーのエンジ色のパジャマだった。どうやら、先日買ったパジャマは安っぽくて気に入らなかった様だ。あれを着てフラフラしてないといいなぁと思ったら、もうフラフラしていた、と言われてしまった。
旦那は忙しいのに、よく買う時間があるなぁと思う。でも時間を最大限にうまく利用する人なので、電話でどんな物があるのか確認して、とっておいてもらったそうだ。
私の病気については色々と調べていたのか、パソコンで同じ病気になった人が作っているホームページを出して持ってきてくれた。私の事全然心配してないかと思ったけど少しは気にかけてくれてたんだ・・
他にもゴルフの本も持ってきてくれて、これを読みなさいといい、私のベッドで寝ていた。
患者のベッドで、熟睡する人はうちの旦那ぐらいだろう。
M先生が来てカーテンを開けたが、あっと言って行ってしまった。
旦那は一旦会社に戻る。
夕飯の前にお風呂に入る。
6時に夕飯が来る。病院は規則正しくて時間が来るのも早い。
夕飯はまた箸がないのでスプーンを借りに行った。毎回貸してくれますか?と聞いたらこれはおかゆ用だから・・・と言われる。仕方ない。買うか・・・
と思ったら、同室のYさんが割り箸を貸してくれた。その時母が来る。
ご飯も食べ終わり、旦那も来る。
旦那は母に会うのは3年ぶりだった。こんな人珍しいでしょ?でも、うちは本当にお正月まで仕事で休みなしなのです。本当に仕事してるのか疑問だが。
7時過ぎにカンファレンスが始まる。
奥から、旦那、私、母と並び、主治医のK先生が入って来る。
K先生が手術の説明を始める。旦那はそれをノートに書きとめる。先生の口癖は、「したがってー。」 ∴←したがって。(笑)
本当にまじめそうで、偉そうな先生。でも相変わらずのポーカーフェイス。
一通り説明が終わり、何か質問ありますか?と聞かれ、私が「病名は何ですか?」と聞いた。
今思うと、病名はこれから付くのだからトンチンカンな質問をしたと思う。
その次に、「さっき麻酔科の先生が来て、腰から行きますと言われたのですが、先生は全身麻酔と言っていましたが、どちらですか?」と質問すると、母につつかれる。腰にしなさい!という顔をしていた。先生は「全身だよねぇ。」と確認している。先生、少し取り乱すかと思ったけど、さすがだ・・・。でもこの場でははっきりとした答えを出して貰えず不安になる。
主治医のK先生は説明が終わると後は2人に任せて出て行ってしまった。結局お金は渡せなかった。
その後、輸血の話などをして終わる。
旦那と母はタクシーで新宿まで一緒に帰る。私は玄関までお見送り。
寝る前に腸をきれいにするため下剤薬と胃液を抑える薬を飲む。
就寝は9時。眠れるかしら・・・
・・・つづく
昨日は大好きなゴルフも休むほど忙しい。
夜、9時半過ぎ頃まで大忙しで用事も済み、家に帰ろうとしたら、駅から旦那の姿が見えた。携帯を手にして怪しい。何処かにかけようとしていたのか、メールをしようとしていたのか、声を掛けるとビビッたのか挙動不審。何処に電話してるの?というと、違うよ!だって。・・・何が違うのだろう?
あやしい旦那を後ろに乗せて、自転車で2人乗りをして家に帰った。
よく会社帰りに歩きながら電話をしている人いるけど、家にかけている人は少ないんじゃないかと思うんだけど考えすぎでしょうか?
浮気なら分んないようにやって下さい。
* * *
-----2002年10月23日(水)入院当日-----
小さなトランクをズルズルひきながら旦那と一緒に家を出る。旦那と一緒に歩けるのがなんだか嬉しい。旅行気分と言いたい所だけど、行き先は病院。
旦那とは新宿でお別れ。私は乗り換えて病院へ。入院する人は大抵付き添いの人がいるが、私は1人で全然平気!
手続きを終えて病室に案内される。
私はベッドを見た瞬間、『快適そう♪』と思った。
真っ白の寝具。廊下側なので壁に寄りかかれる。なかなか良いんじゃない!
枕元に目をやると主治医の先生の名前が3人書いてあった。どうしよう・・・
実は一応お金を包んできたのだが、1人分しか持ってこなかった。
主治医はK先生だが、後の2人は研修医のようだ。
一人は男、もう一人は女の先生。この先この男の先生をK2先生、女の先生をM先生とします。
看護婦さんが来たので聞いたら、お金は包まなくてもいいそうだ。そりゃそう言うよねぇ。
その後、すぐK2先生が、「K先生は学会でカンファレンスは夜の7時頃になります。」
と言うので、急いで母に電話を入れたがもう出てしまっていた。
仕方ないので入院にあたってのアンケートを書く。体重を計ったり一通り終えると何もする事がないのでチョッとぷらぷらしようとエレベーターの所に行く。すると母がエレベーターから出てきた。あっ!と手を握り合う。危なくすれ違う所だった。
そのうちにお昼になる。なんだかんだと時間が経つのが早い。箸を忘れたのでスプーンを借りて食べる。母はみかんやら、何やら持ってきていたがこの年の人って何でこういうもの持ってくるんでしょう。病室にみかんの匂いが漂って少し恥ずかしかった。
そうこうしていると麻酔科の先生が来て「腰からやります。」と言う。私は全身だと思っていたので何度も聞き返したが、腰の方が安全だという。全身麻酔だと負担が大きいようだ。だが、最終的には自分で決めるそう。(涙)
すごーくやな気分になったが、母はその先生の話を聞いて、腰椎麻酔にしなさい!と言う。
もう2時をまわっていたかな。母もお昼を食べに行く。7時まで時間をつぶしてくるというので、私も玄関まで一緒に行く。
近所の人に、腰椎麻酔になりそうだとメールを送る。
暇なので、売店などをフラフラしていたら、今度は旦那を発見!これまたばったりと会った。
旦那は伊勢丹の袋を持っていた。
何してたの?と聞くと、3時から面会になってたから、それまで時間つぶしていたそうだ。
そんなことは全く気にせず入ってきた母は凄いと思う。色んな意味で。
伊勢丹の袋の中身は大体検討がついていた。
「ゴルフウエアだと嬉しけど、パジャマでしょう!」と聞くとニッと微笑んだ。
ベッドで開けてみたら、バーバリーのエンジ色のパジャマだった。どうやら、先日買ったパジャマは安っぽくて気に入らなかった様だ。あれを着てフラフラしてないといいなぁと思ったら、もうフラフラしていた、と言われてしまった。
旦那は忙しいのに、よく買う時間があるなぁと思う。でも時間を最大限にうまく利用する人なので、電話でどんな物があるのか確認して、とっておいてもらったそうだ。
私の病気については色々と調べていたのか、パソコンで同じ病気になった人が作っているホームページを出して持ってきてくれた。私の事全然心配してないかと思ったけど少しは気にかけてくれてたんだ・・
他にもゴルフの本も持ってきてくれて、これを読みなさいといい、私のベッドで寝ていた。
患者のベッドで、熟睡する人はうちの旦那ぐらいだろう。
M先生が来てカーテンを開けたが、あっと言って行ってしまった。
旦那は一旦会社に戻る。
夕飯の前にお風呂に入る。
6時に夕飯が来る。病院は規則正しくて時間が来るのも早い。
夕飯はまた箸がないのでスプーンを借りに行った。毎回貸してくれますか?と聞いたらこれはおかゆ用だから・・・と言われる。仕方ない。買うか・・・
と思ったら、同室のYさんが割り箸を貸してくれた。その時母が来る。
ご飯も食べ終わり、旦那も来る。
旦那は母に会うのは3年ぶりだった。こんな人珍しいでしょ?でも、うちは本当にお正月まで仕事で休みなしなのです。本当に仕事してるのか疑問だが。
7時過ぎにカンファレンスが始まる。
奥から、旦那、私、母と並び、主治医のK先生が入って来る。
K先生が手術の説明を始める。旦那はそれをノートに書きとめる。先生の口癖は、「したがってー。」 ∴←したがって。(笑)
本当にまじめそうで、偉そうな先生。でも相変わらずのポーカーフェイス。
一通り説明が終わり、何か質問ありますか?と聞かれ、私が「病名は何ですか?」と聞いた。
今思うと、病名はこれから付くのだからトンチンカンな質問をしたと思う。
その次に、「さっき麻酔科の先生が来て、腰から行きますと言われたのですが、先生は全身麻酔と言っていましたが、どちらですか?」と質問すると、母につつかれる。腰にしなさい!という顔をしていた。先生は「全身だよねぇ。」と確認している。先生、少し取り乱すかと思ったけど、さすがだ・・・。でもこの場でははっきりとした答えを出して貰えず不安になる。
主治医のK先生は説明が終わると後は2人に任せて出て行ってしまった。結局お金は渡せなかった。
その後、輸血の話などをして終わる。
旦那と母はタクシーで新宿まで一緒に帰る。私は玄関までお見送り。
寝る前に腸をきれいにするため下剤薬と胃液を抑える薬を飲む。
就寝は9時。眠れるかしら・・・
・・・つづく
2002年10月22日の日記。
2003年10月22日最近自分のやっている事のすべてが空回りしているような気がする。
充実しているようでやり切れていない事が沢山ある。
こんなんではいけないと思いながらも時間に流されて何も出来ていない。
今から真剣に取り組まないと!って、何をだ!
* * *
-----2002年10月22日(水)-----
この日は前々からある方とお会いする約束になっていた。
手術をする前にその方の話が聞ける事となったのも自分では不思議であった。
母にも聞いて欲しかったので同席してもらう。
私はある事について聞きたかった。
その事についての考え方が母とは違っていたので一緒に聞いて欲しかった。
しかし、その方の話は厳しいものだった。でもすっきりした。結局母の言っている事と一緒でそれよりも私には大切なものがある事も教えていただいた。
とにかく自分の心が定まった。
本当に話を聞けてよかった。
母は一言も発することなくうなずいていた。母の思いの深さを感じ、有難かった。
気持ちも晴れて母にも感謝する。
母を駅まで送り、帰りに駅ビルの中でパジャマを買って帰った。
着替えがあった方がいいと思い、色違いで2枚買った。
3泊4日なのに色々入れていたら大きな荷物になってしまった。
近所のKさんが来てくれて荷物を見せると、皆こんなもんよ!と言ってくれる。
このKさんもご主人もお子さんも大きな病気をしていて入院は慣れているそうで、色々なお話を聞くことが出来た。
何と有難い事か。経験をした人には説得力もあり、面白おかしく話をしてくれる。
6人部屋は覚悟した方がいいよ!とも言っていた。
何故かというとイビキが凄いからだそうだ。
私はそれなら大丈夫!音はあんまり気にならないで眠れるから。
実家のすぐ側に鉄橋があって、電車が通る度にゴーっと物凄い音を聞いていた私はその位ではびくともしないのです。
それに女ばっかりだしそんなにイビキをかく人もいないだろうと思っていた。
旦那が帰ってきてパジャマを見せるといいんじゃない。と一言。
旦那のワイシャツを5枚アイロンかけて準備もOK。
明日はいよいよ入院。自分としては全然怖くなかった。
---つづく
日記を書いていて去年の今日話を聞いたんだなぁとまた改めて身の引き締まる思いをした。
充実しているようでやり切れていない事が沢山ある。
こんなんではいけないと思いながらも時間に流されて何も出来ていない。
今から真剣に取り組まないと!って、何をだ!
* * *
-----2002年10月22日(水)-----
この日は前々からある方とお会いする約束になっていた。
手術をする前にその方の話が聞ける事となったのも自分では不思議であった。
母にも聞いて欲しかったので同席してもらう。
私はある事について聞きたかった。
その事についての考え方が母とは違っていたので一緒に聞いて欲しかった。
しかし、その方の話は厳しいものだった。でもすっきりした。結局母の言っている事と一緒でそれよりも私には大切なものがある事も教えていただいた。
とにかく自分の心が定まった。
本当に話を聞けてよかった。
母は一言も発することなくうなずいていた。母の思いの深さを感じ、有難かった。
気持ちも晴れて母にも感謝する。
母を駅まで送り、帰りに駅ビルの中でパジャマを買って帰った。
着替えがあった方がいいと思い、色違いで2枚買った。
3泊4日なのに色々入れていたら大きな荷物になってしまった。
近所のKさんが来てくれて荷物を見せると、皆こんなもんよ!と言ってくれる。
このKさんもご主人もお子さんも大きな病気をしていて入院は慣れているそうで、色々なお話を聞くことが出来た。
何と有難い事か。経験をした人には説得力もあり、面白おかしく話をしてくれる。
6人部屋は覚悟した方がいいよ!とも言っていた。
何故かというとイビキが凄いからだそうだ。
私はそれなら大丈夫!音はあんまり気にならないで眠れるから。
実家のすぐ側に鉄橋があって、電車が通る度にゴーっと物凄い音を聞いていた私はその位ではびくともしないのです。
それに女ばっかりだしそんなにイビキをかく人もいないだろうと思っていた。
旦那が帰ってきてパジャマを見せるといいんじゃない。と一言。
旦那のワイシャツを5枚アイロンかけて準備もOK。
明日はいよいよ入院。自分としては全然怖くなかった。
---つづく
日記を書いていて去年の今日話を聞いたんだなぁとまた改めて身の引き締まる思いをした。
去年の入院日記 2002年10月21日(火) 入院のお知らせ。
2003年10月21日もう10月21日か・・・
これからまた去年日付けの再現日記を書いていこうと思います。
自分だけの記録なので、皆様にはつまらないと思いますが、少しの間書かせていただきます。
* * *
---2002年10月21日(月)---
去年の10月21日10時頃だったか、病院から電話がかかってくる。
「K病院です。あさって入院して下さい。6人部屋です。」
第一希望の6人部屋。ヤッターと思う。
個室でなければ何人いても一緒だと思い、どうせならタダの6人部屋がいいと思っていた。
10月29日の外来を待たずすぐの手術となる。
10月1日にかかってからわずか23日で手術してもらえる事になった。
早い展開で不思議である。
その時の私の気持ちは晴れ晴れとしていた。
周りの人は気を使ってくれましたが、当の本人は全然平気。
なぜなら、3bなので前癌状態ではあるが、癌ではないと思っていたし、先生は全身麻酔だから痛くないと言っていた。
実際、子宮頚部というのは神経がないみたいなので痛くないと聞いていたからだ。
要は痛くなければよかったのです。
手術よりも心配していたのは麻酔の事だけ。
麻酔の知識は全くなかった。
なんとなく腰椎麻酔は痛いだろうと思っていたが、全身麻酔がどんな感じなのか分らなかった。
経験した方が、眠っている間に手術が終わって、○○さん、と手をパンパンとたたかれて気が付く。
と教えてくれた。
でも麻酔をかける時は痛いのだろうか・・・それだけが心配だった。
これからまた去年日付けの再現日記を書いていこうと思います。
自分だけの記録なので、皆様にはつまらないと思いますが、少しの間書かせていただきます。
* * *
---2002年10月21日(月)---
去年の10月21日10時頃だったか、病院から電話がかかってくる。
「K病院です。あさって入院して下さい。6人部屋です。」
第一希望の6人部屋。ヤッターと思う。
個室でなければ何人いても一緒だと思い、どうせならタダの6人部屋がいいと思っていた。
10月29日の外来を待たずすぐの手術となる。
10月1日にかかってからわずか23日で手術してもらえる事になった。
早い展開で不思議である。
その時の私の気持ちは晴れ晴れとしていた。
周りの人は気を使ってくれましたが、当の本人は全然平気。
なぜなら、3bなので前癌状態ではあるが、癌ではないと思っていたし、先生は全身麻酔だから痛くないと言っていた。
実際、子宮頚部というのは神経がないみたいなので痛くないと聞いていたからだ。
要は痛くなければよかったのです。
手術よりも心配していたのは麻酔の事だけ。
麻酔の知識は全くなかった。
なんとなく腰椎麻酔は痛いだろうと思っていたが、全身麻酔がどんな感じなのか分らなかった。
経験した方が、眠っている間に手術が終わって、○○さん、と手をパンパンとたたかれて気が付く。
と教えてくれた。
でも麻酔をかける時は痛いのだろうか・・・それだけが心配だった。
土佐の高知良いとこよ!
2003年10月20日今日はあんちゃんと、奥さんと2人で新婚旅行のお土産を持ってきてくれました!
急な電話だったし、私も用事があったので、急いで部屋を片付けてコーヒーを入れて、いらない物は開かずの部屋に押し込み自分の化粧から着替えまで全部で30分で仕上げました。
我ながら、やれば出来るじゃん!毎日こうすれば家事はすぐに終わるのよね。
* * *
今、旦那の両親から新高梨が送られてきた。
いつもいつも有難うございます!
旦那の実家は土佐の高知。
お米も結婚してから買ったことが無い程、まめに送ってくれる。
高知のお米?美味しいの?と思う方いらっしゃると思いますが、それが、美味しいんですよ!
西の方には縁の無かった私が、四国の人と結婚するなんて思ってもみなかった。
住みたいとは思わないが、高知県は国民休暇県だそうで、本当にいい所。
空と海と美味しい空気しかない。のんびーりとした所。
やっぱり、南国の雰囲気があって、果物が美味しい!南国のフルーツがいっぱい!海のものではやっぱりカツオでしょう。
高知の人と触れてみて感じたのは考え方の違いだ。
おおらかなのだ。悪く言えばずーずーしい。
気の使い方や細やかさは北の方が有る様に思うが、高知はかたっくるしくなくていい。
だから、私もあんまり気を使わない様にしている。それでちょうどいいのだ。
あの太平洋を眺めながら育った人は何か違うように思うのです。
坂本竜馬のように、国を変える人物が現れるんだからね。
結婚してもうすぐでまる8年になるけど、高知には3回しか行ってない。高知の良さを語るほど行ってないから今日はこの辺で。
今回の釣りバカは四国の四万十川が舞台なので良かったら見てください。そのうちテレビでやるか・・・
急な電話だったし、私も用事があったので、急いで部屋を片付けてコーヒーを入れて、いらない物は開かずの部屋に押し込み自分の化粧から着替えまで全部で30分で仕上げました。
我ながら、やれば出来るじゃん!毎日こうすれば家事はすぐに終わるのよね。
* * *
今、旦那の両親から新高梨が送られてきた。
いつもいつも有難うございます!
旦那の実家は土佐の高知。
お米も結婚してから買ったことが無い程、まめに送ってくれる。
高知のお米?美味しいの?と思う方いらっしゃると思いますが、それが、美味しいんですよ!
西の方には縁の無かった私が、四国の人と結婚するなんて思ってもみなかった。
住みたいとは思わないが、高知県は国民休暇県だそうで、本当にいい所。
空と海と美味しい空気しかない。のんびーりとした所。
やっぱり、南国の雰囲気があって、果物が美味しい!南国のフルーツがいっぱい!海のものではやっぱりカツオでしょう。
高知の人と触れてみて感じたのは考え方の違いだ。
おおらかなのだ。悪く言えばずーずーしい。
気の使い方や細やかさは北の方が有る様に思うが、高知はかたっくるしくなくていい。
だから、私もあんまり気を使わない様にしている。それでちょうどいいのだ。
あの太平洋を眺めながら育った人は何か違うように思うのです。
坂本竜馬のように、国を変える人物が現れるんだからね。
結婚してもうすぐでまる8年になるけど、高知には3回しか行ってない。高知の良さを語るほど行ってないから今日はこの辺で。
今回の釣りバカは四国の四万十川が舞台なので良かったら見てください。そのうちテレビでやるか・・・
こんにゃろめが (『いつもここから』の新ネタ風)
2003年10月19日タイトル変更!
「悲しいときー」で有名な『いつもここから』が、この間テレビでやっていた新ネタ。
バイクに2人乗りして、ばかやろう!こんにゃろめが!ともんくを言うコント。早口なので、何を言っているか良ーく聞かないと分らないが、面白かった。あれだけの台詞を覚えるの大変だろうなぁーと感心しました。
今日は実家の近くに用事があり行って来ました。
用事が済んで時間があったので、実家に寄って、出来上った結婚式の写真を見せて来ました。
思いがけない人が来たと、母は喜んで、帰りには獲りたての大根、ネギ、カブ、ナス、里芋をもらって帰ってきました。(家庭菜園が趣味の両親)
私あんまり実家に行かないんです。近いのに年に5回位行くかなぁー。
* * *
うちから実家まで、車で40分位で着くが、外環と東北自動車道を使うと20分弱で着いてしまう。
以前は下を通って行っていたが、最近は早いので上を使っていく事がほとんど。
今日も外環に乗って上から行く事にした。
気分良く乗っていると、外環を出るあたりから、車線変更をしながら飛ばしてきた紺のベンツがビッタリと付けてきた。
もっと優雅に運転出来ないのか?『ばっかやろう!』私はちゃんと流れにのって飛ばしていたので、行きたいなら抜かしていけよ!と思ったら、私を抜かして私の前に付けてきた。『こんにゃろめが!』
E500か、クラスはうちのが上だ。そんなに飛ばしたってそんなに変わらないんだよ!『ばっかやろう!』と思いながらこいつの側にいるのは危険と考え、少し離れた。
東北道の料金所で、やつは一般の方へ行った。ベンツ乗ってんならETCくらい付けろよ!『こんにゃろめが!』
私はETC専用から乗り、またまた私が先になってしまった。
ここで差がつき・・・と思ったらまた車線変更をしながら飛ばしてきた。あいつ何キロだしてんだ?
そのうち、私は最初の岩槻インターで降りるので左車線に移動する。
やつの方に目をやると、前に車がないのに右に行ったり真ん中に行ったり、変な行動をとっている。格好つけてるのか?楽しんでるのか?『迷惑なんだよ!ばっかやろう』
チラッと見えたが、おじさんだった。『おやじ、いい年してもう少し落ち着けよ!ばっかやろう!』
こういう運転するやつがいるから事故が起こるんだよ!『こんにゃろめが!ばっかやろう!』
あらっ?わたしったら・・・どうしちゃったのかしら・・・
言葉使いが悪いんじゃないの?
ちなみに私は悪い事が出来ません。まじめなので、10年乗っているがゴールド。
今日は疲れた・・・今日は旦那の布団で寝よう・・・
暴言、失言をお許しください・・・
「悲しいときー」で有名な『いつもここから』が、この間テレビでやっていた新ネタ。
バイクに2人乗りして、ばかやろう!こんにゃろめが!ともんくを言うコント。早口なので、何を言っているか良ーく聞かないと分らないが、面白かった。あれだけの台詞を覚えるの大変だろうなぁーと感心しました。
今日は実家の近くに用事があり行って来ました。
用事が済んで時間があったので、実家に寄って、出来上った結婚式の写真を見せて来ました。
思いがけない人が来たと、母は喜んで、帰りには獲りたての大根、ネギ、カブ、ナス、里芋をもらって帰ってきました。(家庭菜園が趣味の両親)
私あんまり実家に行かないんです。近いのに年に5回位行くかなぁー。
* * *
うちから実家まで、車で40分位で着くが、外環と東北自動車道を使うと20分弱で着いてしまう。
以前は下を通って行っていたが、最近は早いので上を使っていく事がほとんど。
今日も外環に乗って上から行く事にした。
気分良く乗っていると、外環を出るあたりから、車線変更をしながら飛ばしてきた紺のベンツがビッタリと付けてきた。
もっと優雅に運転出来ないのか?『ばっかやろう!』私はちゃんと流れにのって飛ばしていたので、行きたいなら抜かしていけよ!と思ったら、私を抜かして私の前に付けてきた。『こんにゃろめが!』
E500か、クラスはうちのが上だ。そんなに飛ばしたってそんなに変わらないんだよ!『ばっかやろう!』と思いながらこいつの側にいるのは危険と考え、少し離れた。
東北道の料金所で、やつは一般の方へ行った。ベンツ乗ってんならETCくらい付けろよ!『こんにゃろめが!』
私はETC専用から乗り、またまた私が先になってしまった。
ここで差がつき・・・と思ったらまた車線変更をしながら飛ばしてきた。あいつ何キロだしてんだ?
そのうち、私は最初の岩槻インターで降りるので左車線に移動する。
やつの方に目をやると、前に車がないのに右に行ったり真ん中に行ったり、変な行動をとっている。格好つけてるのか?楽しんでるのか?『迷惑なんだよ!ばっかやろう』
チラッと見えたが、おじさんだった。『おやじ、いい年してもう少し落ち着けよ!ばっかやろう!』
こういう運転するやつがいるから事故が起こるんだよ!『こんにゃろめが!ばっかやろう!』
あらっ?わたしったら・・・どうしちゃったのかしら・・・
言葉使いが悪いんじゃないの?
ちなみに私は悪い事が出来ません。まじめなので、10年乗っているがゴールド。
今日は疲れた・・・今日は旦那の布団で寝よう・・・
暴言、失言をお許しください・・・
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手抜き日記
2003年10月18日明日からまた旦那が青森さ行くハンデェー
ワイシャツにアイロンをかけないとマイネ。
ダッキャー、アイロンは時間がかかるハンデ今日の日記はこの辺で!
-----津軽弁講座-----
ハンデ-------〜だから
マイネ-------いけない。
ダッキャ-----そうだね。(相づちを打つ時)
ワイシャツにアイロンをかけないとマイネ。
ダッキャー、アイロンは時間がかかるハンデ今日の日記はこの辺で!
-----津軽弁講座-----
ハンデ-------〜だから
マイネ-------いけない。
ダッキャ-----そうだね。(相づちを打つ時)
銀座行って来ましたよ!金曜の友と。
疲れた〜。
bonbon watchはおもちゃの様でこれに1万数千円も払いたくない!と思い2人とも買いませんでした。
お昼食べて、夕飯まで食べて、銀座に食事をしに行ったみたい。
美味しかったからいいんですけどね。
* * *
今日は午前中用事があったので12時に赤羽で友達と待ち合わせた。
銀座に着いたのは12時半位。
初め私の時計を修理に出してからbonbon watchを見にいった。
お店は3畳ほどの小さな店。一目見た瞬間、これはいらない・・・と思う。でもヒョッとすると良いのがあるかも・・・と思い一生懸命見たが、作りが甘いからやっぱりいらない。
以前にも、この友達がテレビで可愛い指輪を見つけて、白金まで行った事がある。
それはアラカと言うお店で、東京にはこのプラチナ通りに1軒しかない。
パリに数軒とハワイに一軒、そして東京にしかないこのお店も似たような雰囲気があったが、
その指輪のお店には輝くものがあった。
アラカのホームページはこれ↓
http://www.harraca.jp/index.jsp
この指輪は2年前に購入したが、今でも1番のお気に入り。
どんな高い指輪よりも好き!
この指輪もおもちゃの様なのに1万4千円もする。(高!)
そして、沢山あった中でも私の買った物以外は魅力を感じない。(クリアダイヤがお気に入り。)
このアラカに入った時も、おもちゃみたい・・・と思ったが見ているうちにハマッテしまった。
石の配置で雰囲気が違ってくるし、1万4千円もするから真剣になる。
結局、3時間位お店にいた。そして、2人とも満足して帰ってきた。
その指輪、初代の物は割ってしまって、2代目は無くしてしまった。今あるのは3代目。
このおもちゃみたいな指輪に計4万2千円払った事になる。
もったいないが、その位お気に入りなのです。
(昨日病院のトイレで手を洗う時はずして置き忘れ、また無くす所だった・・・危ない危ない!)
芸能人も付けている人が多いこの一品、彼女のプレゼントにいいかもしれませんよ!
P.S
何てお気楽な生活。
旦那は必死で仕事しているのに・・・
銀座から帰ってきたのは9時。ボーっとしていたら旦那が帰ってきてしまった。旦那の夕飯は近くのファミレス。旦那はこの程度では全く怒らない。なんて優しい人でしょう。一緒に楽しくビール飲んで・・・
ちょっと反省。
疲れた〜。
bonbon watchはおもちゃの様でこれに1万数千円も払いたくない!と思い2人とも買いませんでした。
お昼食べて、夕飯まで食べて、銀座に食事をしに行ったみたい。
美味しかったからいいんですけどね。
* * *
今日は午前中用事があったので12時に赤羽で友達と待ち合わせた。
銀座に着いたのは12時半位。
初め私の時計を修理に出してからbonbon watchを見にいった。
お店は3畳ほどの小さな店。一目見た瞬間、これはいらない・・・と思う。でもヒョッとすると良いのがあるかも・・・と思い一生懸命見たが、作りが甘いからやっぱりいらない。
以前にも、この友達がテレビで可愛い指輪を見つけて、白金まで行った事がある。
それはアラカと言うお店で、東京にはこのプラチナ通りに1軒しかない。
パリに数軒とハワイに一軒、そして東京にしかないこのお店も似たような雰囲気があったが、
その指輪のお店には輝くものがあった。
アラカのホームページはこれ↓
http://www.harraca.jp/index.jsp
この指輪は2年前に購入したが、今でも1番のお気に入り。
どんな高い指輪よりも好き!
この指輪もおもちゃの様なのに1万4千円もする。(高!)
そして、沢山あった中でも私の買った物以外は魅力を感じない。(クリアダイヤがお気に入り。)
このアラカに入った時も、おもちゃみたい・・・と思ったが見ているうちにハマッテしまった。
石の配置で雰囲気が違ってくるし、1万4千円もするから真剣になる。
結局、3時間位お店にいた。そして、2人とも満足して帰ってきた。
その指輪、初代の物は割ってしまって、2代目は無くしてしまった。今あるのは3代目。
このおもちゃみたいな指輪に計4万2千円払った事になる。
もったいないが、その位お気に入りなのです。
(昨日病院のトイレで手を洗う時はずして置き忘れ、また無くす所だった・・・危ない危ない!)
芸能人も付けている人が多いこの一品、彼女のプレゼントにいいかもしれませんよ!
P.S
何てお気楽な生活。
旦那は必死で仕事しているのに・・・
銀座から帰ってきたのは9時。ボーっとしていたら旦那が帰ってきてしまった。旦那の夕飯は近くのファミレス。旦那はこの程度では全く怒らない。なんて優しい人でしょう。一緒に楽しくビール飲んで・・・
ちょっと反省。
今日も言われてしまった。
2003年10月16日明日は銀座に行ってきます!
私の時計の修理と、友達がbonbon watchという時計が欲しい様で、行く事になった。
『はなまる』でやっていたそうで今流行っているみたい。
1万〜3万位なのでゴルフの時にいいかも!
私もいいのがあったら買っちゃうおっかなぁー♪
* * *
今日近所の方と話をしていて同調した事がある。
それは夕飯のおかずについて。
そこのご主人は、おかずに不満があるとラーメンと言うそうだ。
別におかずの文句を言う訳でもなく。
ただラーメンと一言いうそうだ。
うちの旦那さまは、おかずに不満があるとシーチキンマヨという。
別におかずの文句を言う訳でもなく。
ただシーチキンマヨと一言いう。
何かと共通点の多い2人ではあったがそこまで似ているとは・・・
そして、今日の夕飯で言われてしまったのだ。シーチキンマヨと・・・
魚好きの旦那の為に今日は秋刀魚だった。
(特にアジの開きが好きみたい。結構安上がりな男。)
旦那の為に魚焼き機能を重視して買ったガスコンロ。さすがに秋刀魚も切らずに焼ける。
焼きたてが美味しいから、帰ってきてからすぐに焼いた。
それなのに、それなのに、、、
シーチキンマヨと言われてしまった。(涙)
理由を聞いたら、味わいがない。だって!
なんと言う理由だ。味わいって?
それに付け加えて、これは醤油を沢山かけてもごまかせないよ!だって!
でも、実は心当たりがあった。
旦那の舌はごまかせないなぁー。
近所の八百屋で3尾180円だったのだ。
安いとは思ったんだけど、そんな分る程?
どれどれとチョッと食べてみたけど、
私でもそういわれてみれば・・・と納得。
せっかく喜んでもらおうと思ったのに・・・
でもたまに言われちゃうんだよね。
そして、自分でも自信が無い時は自らシーチキンマヨ出そうか?と言ってしまう。(悲)
だから、うちはシーチキンを沢山買いだめしてある。
私の時計の修理と、友達がbonbon watchという時計が欲しい様で、行く事になった。
『はなまる』でやっていたそうで今流行っているみたい。
1万〜3万位なのでゴルフの時にいいかも!
私もいいのがあったら買っちゃうおっかなぁー♪
* * *
今日近所の方と話をしていて同調した事がある。
それは夕飯のおかずについて。
そこのご主人は、おかずに不満があるとラーメンと言うそうだ。
別におかずの文句を言う訳でもなく。
ただラーメンと一言いうそうだ。
うちの旦那さまは、おかずに不満があるとシーチキンマヨという。
別におかずの文句を言う訳でもなく。
ただシーチキンマヨと一言いう。
何かと共通点の多い2人ではあったがそこまで似ているとは・・・
そして、今日の夕飯で言われてしまったのだ。シーチキンマヨと・・・
魚好きの旦那の為に今日は秋刀魚だった。
(特にアジの開きが好きみたい。結構安上がりな男。)
旦那の為に魚焼き機能を重視して買ったガスコンロ。さすがに秋刀魚も切らずに焼ける。
焼きたてが美味しいから、帰ってきてからすぐに焼いた。
それなのに、それなのに、、、
シーチキンマヨと言われてしまった。(涙)
理由を聞いたら、味わいがない。だって!
なんと言う理由だ。味わいって?
それに付け加えて、これは醤油を沢山かけてもごまかせないよ!だって!
でも、実は心当たりがあった。
旦那の舌はごまかせないなぁー。
近所の八百屋で3尾180円だったのだ。
安いとは思ったんだけど、そんな分る程?
どれどれとチョッと食べてみたけど、
私でもそういわれてみれば・・・と納得。
せっかく喜んでもらおうと思ったのに・・・
でもたまに言われちゃうんだよね。
そして、自分でも自信が無い時は自らシーチキンマヨ出そうか?と言ってしまう。(悲)
だから、うちはシーチキンを沢山買いだめしてある。
今日の日記
2003年10月15日今日は結局、午前中ゴルフの練習をしてから皆とランチはせず、病院に行きました。
ゴルフは1時間打ち放題を選ぶ。
私達のレッスン生の中に、そこのゴルフ場の社長の奥さんがいて、場所取りをしてくれていた。
その奥さん、お金持ちなのに全く鼻にかけてなくて本当にいい人。
おまけにお昼の場所も予約してくれたそうだ。ホントいい人!
* * *
そんな訳で、今日は病院に行った。
前回はすいていたのに今日は座る椅子が無いほど混んでいた。
水曜日は教授の診察日だが、教授お休みなのかな?
午前中の人がまだ沢山残っていた。(午後の3時の時点で)
しかも、私が診てもらう診察室も混んでいる様子。
まだまだ時間かかりそうと思い、トイレへ行こうとしたその先に、主治医の先生らしき人が・・・
あっ先生だ!と思ったがズーっと先だったので会えなかった。残念、、、
そして待つこと2時間強。2時50分に病院に入って呼ばれたのが5時。
呼ばれる直前に地震があったが、とりあえず内診中じゃなくて良かった!
名前が呼ばれて中に入る。
今日の先生ははじめての先生。
とりあえず、状況説明をすると、
体癌の検査もしておきましょう!
私が、えっ!と言うと、
細胞診だから痛くないですよ!という。
子宮体癌の組織診はメチャメチャ痛いのです。
でも組織じゃないから大丈夫の様だ。
検体を採る時、
ちょっとチクッとしますよ!
と言う。
いつも思うけど、言わなくていいから・・・怖いから・・・
結局、私が心配していた程たいした事なかったみたいなので一安心!
会計を済ましていつもの様にYさんのお見舞いに行く。
今日はとっても元気そうだった。
明日退院との事。
でもまたすぐに入院予定。
抗がん剤治療、これで60回と言っていた。
ご主人の浮気も真っ最中の様だが、
初めの頃よりは吹っ切れてきたと言っていた。
帰り、6時を過ぎてしまって、
ラッシュだろうと覚悟をする。
が、思ったほど混んでいなかった。
私が学生の頃、埼京線はひどかった。
途中の駅はあまりの重圧で、ドアが開かない。
本当に息が止まる。
冗談ではなく、本当に死にそうになる。
息がしたければ、人と人の間にいるように心がけよう!
人間のやわらかさがあるから、何とか呼吸は出来る。
端が良いと思いドアにくっつく事はやめましょう!
硬いから、その先がない。押されると本当に息が出来なくなる。
あと、手すりの棒も危険。
骨が折れる。ホント!
今はさいたま市の人口も増えて朝はその時以上だと思う。
日本のサラリーマンも大変だぁ。
ゴルフは1時間打ち放題を選ぶ。
私達のレッスン生の中に、そこのゴルフ場の社長の奥さんがいて、場所取りをしてくれていた。
その奥さん、お金持ちなのに全く鼻にかけてなくて本当にいい人。
おまけにお昼の場所も予約してくれたそうだ。ホントいい人!
* * *
そんな訳で、今日は病院に行った。
前回はすいていたのに今日は座る椅子が無いほど混んでいた。
水曜日は教授の診察日だが、教授お休みなのかな?
午前中の人がまだ沢山残っていた。(午後の3時の時点で)
しかも、私が診てもらう診察室も混んでいる様子。
まだまだ時間かかりそうと思い、トイレへ行こうとしたその先に、主治医の先生らしき人が・・・
あっ先生だ!と思ったがズーっと先だったので会えなかった。残念、、、
そして待つこと2時間強。2時50分に病院に入って呼ばれたのが5時。
呼ばれる直前に地震があったが、とりあえず内診中じゃなくて良かった!
名前が呼ばれて中に入る。
今日の先生ははじめての先生。
とりあえず、状況説明をすると、
体癌の検査もしておきましょう!
私が、えっ!と言うと、
細胞診だから痛くないですよ!という。
子宮体癌の組織診はメチャメチャ痛いのです。
でも組織じゃないから大丈夫の様だ。
検体を採る時、
ちょっとチクッとしますよ!
と言う。
いつも思うけど、言わなくていいから・・・怖いから・・・
結局、私が心配していた程たいした事なかったみたいなので一安心!
会計を済ましていつもの様にYさんのお見舞いに行く。
今日はとっても元気そうだった。
明日退院との事。
でもまたすぐに入院予定。
抗がん剤治療、これで60回と言っていた。
ご主人の浮気も真っ最中の様だが、
初めの頃よりは吹っ切れてきたと言っていた。
帰り、6時を過ぎてしまって、
ラッシュだろうと覚悟をする。
が、思ったほど混んでいなかった。
私が学生の頃、埼京線はひどかった。
途中の駅はあまりの重圧で、ドアが開かない。
本当に息が止まる。
冗談ではなく、本当に死にそうになる。
息がしたければ、人と人の間にいるように心がけよう!
人間のやわらかさがあるから、何とか呼吸は出来る。
端が良いと思いドアにくっつく事はやめましょう!
硬いから、その先がない。押されると本当に息が出来なくなる。
あと、手すりの棒も危険。
骨が折れる。ホント!
今はさいたま市の人口も増えて朝はその時以上だと思う。
日本のサラリーマンも大変だぁ。
年金どうなる?
2003年10月14日明日はゴルフだが、先生の都合でお休み。
レッスン生だけで、集まって練習&ランチとなった。(結構まじめな生徒達)
でも、私は病院に行ってこようと思う。
* * *
さて、衆議院解散になったけど、今回の衆議院選どうなる?
年金選挙と呼ばれる今回の選挙。
国民が真剣に考えて投票しないと大変な事になるでしょう。
それにしても、共産党は蚊帳の外って感じだ。
今や誰も相手にしていない気がする。
少なくとも私の住んでいる街ではそんな雰囲気。
民主、自由を応援すればどういう事が起こるのか、考えてみよう。
過半数をとるためにパートナーが必要になるが、残っているのは共産党か社民党しかないよね。
全く意見の違うもの同士でくっついて大丈夫なのか?
しかも、民主党が勝つと消費税が大幅に上がるそうじゃないの!
とにかく、年金は5年ごとに見直されるようだが、来年その見直しの時期になる。
その前の大切な選挙という事を感じるのでありました。
追伸・・・
子供を持たない私が年金を語るのもどうかと・・・
でもその代わり、税金沢山払っているから許してぇ〜。
レッスン生だけで、集まって練習&ランチとなった。(結構まじめな生徒達)
でも、私は病院に行ってこようと思う。
* * *
さて、衆議院解散になったけど、今回の衆議院選どうなる?
年金選挙と呼ばれる今回の選挙。
国民が真剣に考えて投票しないと大変な事になるでしょう。
それにしても、共産党は蚊帳の外って感じだ。
今や誰も相手にしていない気がする。
少なくとも私の住んでいる街ではそんな雰囲気。
民主、自由を応援すればどういう事が起こるのか、考えてみよう。
過半数をとるためにパートナーが必要になるが、残っているのは共産党か社民党しかないよね。
全く意見の違うもの同士でくっついて大丈夫なのか?
しかも、民主党が勝つと消費税が大幅に上がるそうじゃないの!
とにかく、年金は5年ごとに見直されるようだが、来年その見直しの時期になる。
その前の大切な選挙という事を感じるのでありました。
追伸・・・
子供を持たない私が年金を語るのもどうかと・・・
でもその代わり、税金沢山払っているから許してぇ〜。
かばん
2003年10月13日今日は特に何も・・・
休日はつまらないです。
という事で秘密のみ!
* * *
と思ったがチョコッとね。
昨日、結局着物は自分で返しに行き、また大宮をブラブラしてしまった。
かばんを見ていたのだが・・・
私が目にするのはいつも一風変わっている。
何にも入らないような小さいかばんだが、品質が良く、持っているとバランスと格好のいい、おしゃれな物が好きなのだ。
そして、こんな機能がないのに、そんなに出したくないわ!と言うような物。
本当は沢山ポケットが付いていて使い勝手のいいものを目指して行くのだが、
結局全く違う物に目が行ってしまう。
昔聞いた事があるが、かばんの好みは異性の好みでもあるようだ。
例えば、ブランドのかばんが好きな人は、相手にもそれ相応の立場を求める。など。
という事は・・・私の場合、本当は沢山ポケットがあって、なんでも受け入れてくれ、包容力があって、優しい人がいいのは分っているが、
小さくて不便で一風変わっていて、実はチョッと優秀で、一緒にいてバランスがよく、おしゃれな人が好きってことか・・・
休日はつまらないです。
という事で秘密のみ!
* * *
と思ったがチョコッとね。
昨日、結局着物は自分で返しに行き、また大宮をブラブラしてしまった。
かばんを見ていたのだが・・・
私が目にするのはいつも一風変わっている。
何にも入らないような小さいかばんだが、品質が良く、持っているとバランスと格好のいい、おしゃれな物が好きなのだ。
そして、こんな機能がないのに、そんなに出したくないわ!と言うような物。
本当は沢山ポケットが付いていて使い勝手のいいものを目指して行くのだが、
結局全く違う物に目が行ってしまう。
昔聞いた事があるが、かばんの好みは異性の好みでもあるようだ。
例えば、ブランドのかばんが好きな人は、相手にもそれ相応の立場を求める。など。
という事は・・・私の場合、本当は沢山ポケットがあって、なんでも受け入れてくれ、包容力があって、優しい人がいいのは分っているが、
小さくて不便で一風変わっていて、実はチョッと優秀で、一緒にいてバランスがよく、おしゃれな人が好きってことか・・・
英語の先生。
2003年10月12日これからレンタルビデオ見ます。
こういうの久しぶり。
レンタル屋さんには1年以上行ってなかった。
DVDも半々で置いてあった。いつの間に・・・
しまった。オークションでプレステ?売らなければよかった・・・
映画は観に行きたいけど一緒に行く人いないし、
旦那は連日仕事だし、
皆はご主人と映画観てるみたいだけど・・・
* * *
映画といえば大学の時の英語の先生を思い出す。(40代前半男性)
オードリーのファンで授業中その話ばっかり。
大学の講師って、チョッと変わった人多いよね。
その先生が英語を勉強したのはオードリーと話をしたかったからだそうだ。
ある日、学校帰りその先生と駅まで一緒に帰った事がある。
オードリーの映画見ました!というと喜んで感想を聞かれたりして・・・
先生は2、3時間、2千円位で、あの迫力の大スクリーンで時間が過ごせるから、私は1人でよく映画館に行くんですよ!と言っていた。
とにかく映画を熱く語るのでその頃は先生の影響もあり色々見た。
今度1人で見に行ってみようかな。(暗)
ちなみに私は英語が苦手。
大学の時の英語の訳は兄にお願いしていた。
宿題のものは先生に素晴らしい!と誉められたが、
突然指されると訳せなかった。
好きな教科は数学!数学だけ飛びぬけて良かった。
本当は数学の先生になりたいほど好きだった。
こういうの久しぶり。
レンタル屋さんには1年以上行ってなかった。
DVDも半々で置いてあった。いつの間に・・・
しまった。オークションでプレステ?売らなければよかった・・・
映画は観に行きたいけど一緒に行く人いないし、
旦那は連日仕事だし、
皆はご主人と映画観てるみたいだけど・・・
* * *
映画といえば大学の時の英語の先生を思い出す。(40代前半男性)
オードリーのファンで授業中その話ばっかり。
大学の講師って、チョッと変わった人多いよね。
その先生が英語を勉強したのはオードリーと話をしたかったからだそうだ。
ある日、学校帰りその先生と駅まで一緒に帰った事がある。
オードリーの映画見ました!というと喜んで感想を聞かれたりして・・・
先生は2、3時間、2千円位で、あの迫力の大スクリーンで時間が過ごせるから、私は1人でよく映画館に行くんですよ!と言っていた。
とにかく映画を熱く語るのでその頃は先生の影響もあり色々見た。
今度1人で見に行ってみようかな。(暗)
ちなみに私は英語が苦手。
大学の時の英語の訳は兄にお願いしていた。
宿題のものは先生に素晴らしい!と誉められたが、
突然指されると訳せなかった。
好きな教科は数学!数学だけ飛びぬけて良かった。
本当は数学の先生になりたいほど好きだった。
アンちゃん(兄)結婚おめでとう!
2003年10月11日アンちゃん結婚おめでとう!
式とっても良かったよ!
いつもは情けないアンちゃんだけど、今日は頼りがいのある、立派なアンちゃんに見えた。
爽やかで、好青年って感じだったよ!
結婚すると、しっかりして見えるのだろうか。
式は人前式で、皆の前で誓った。皆の前で婚姻届にサインをし、指輪の交換をした。
とても温かみのある式だった。
奥さんは11歳も下で、若さでピチピチしていた。
しかもかわいい!本当におめでとう!
* * *
それにしても、うちの旦那は相変わらず忙しいねぇ。
今週は青森に行ったり、宮崎に行ったり、この1週間のうち、家に居たのは1日だけ。
今日の結婚式には宮崎から早朝の便で帰ってきて、
一旦家で荷物をおき礼服に着替えて式場に来た。
近所の人が旦那を見かけたそうだが、
あまりにも疲れきって、片手にペットボトル、片手にトランクを引いて、ズルズルと歩いていたので声をかけられなかったそうだ。
式の場所は池袋のホテルメトロポリタンだった。
私はどうも池袋はなじめない。
人の流れがバラバラで、縦横斜め四方八方から人が流れてくる。
メトロポリタンは駅のすぐ近くと言うのは知っていたが、今一分らず、旦那に聞いたら駅から矢印が出てるからすぐ分ると言うので、
その通りに行ったら、地上に出てしまった。
地上からは矢印がない。
建物を見渡して多分あれだろうと思ったが、時間がなかったので不覚にも女子高生に聞いてしまった。
田舎者と思われたかも・・・
無事にたどり着き、髪をセットして貰う。
自分の説明通り、横の髪は耳にかけ、後ろは少し高い位置からふんわりとボリュームを出してもらい、品良く仕上がった。
あまりにも早くて上手なので、感動!
その後、着付け。この着物にして良かった。
オレンジがかった赤の色留袖は私の顔の感じに合っていてお人形さんの様だった。又は置物。(はい、スミマセン)
髪の毛も良かったし、今回は100点!
それから、旦那と合流。
私は旦那を見て、なんと血の気の引いた顔をしているのだろう・・・と思った。ひげももう伸びてるし。
旦那は、私を見て、金魚!と思ったそうだ。そう来たか・・・うー確かに・・・
帰りは一緒に帰りたかったが、今日会社の引越しをやっているということで、会社に行ってしまった。
本当に慌しい人だ。
でも、親戚のおじちゃん、おばちゃん、いとことも久しぶりにお会い出来たし、とてもいい結婚式だった!(喜)
式とっても良かったよ!
いつもは情けないアンちゃんだけど、今日は頼りがいのある、立派なアンちゃんに見えた。
爽やかで、好青年って感じだったよ!
結婚すると、しっかりして見えるのだろうか。
式は人前式で、皆の前で誓った。皆の前で婚姻届にサインをし、指輪の交換をした。
とても温かみのある式だった。
奥さんは11歳も下で、若さでピチピチしていた。
しかもかわいい!本当におめでとう!
* * *
それにしても、うちの旦那は相変わらず忙しいねぇ。
今週は青森に行ったり、宮崎に行ったり、この1週間のうち、家に居たのは1日だけ。
今日の結婚式には宮崎から早朝の便で帰ってきて、
一旦家で荷物をおき礼服に着替えて式場に来た。
近所の人が旦那を見かけたそうだが、
あまりにも疲れきって、片手にペットボトル、片手にトランクを引いて、ズルズルと歩いていたので声をかけられなかったそうだ。
式の場所は池袋のホテルメトロポリタンだった。
私はどうも池袋はなじめない。
人の流れがバラバラで、縦横斜め四方八方から人が流れてくる。
メトロポリタンは駅のすぐ近くと言うのは知っていたが、今一分らず、旦那に聞いたら駅から矢印が出てるからすぐ分ると言うので、
その通りに行ったら、地上に出てしまった。
地上からは矢印がない。
建物を見渡して多分あれだろうと思ったが、時間がなかったので不覚にも女子高生に聞いてしまった。
田舎者と思われたかも・・・
無事にたどり着き、髪をセットして貰う。
自分の説明通り、横の髪は耳にかけ、後ろは少し高い位置からふんわりとボリュームを出してもらい、品良く仕上がった。
あまりにも早くて上手なので、感動!
その後、着付け。この着物にして良かった。
オレンジがかった赤の色留袖は私の顔の感じに合っていてお人形さんの様だった。又は置物。(はい、スミマセン)
髪の毛も良かったし、今回は100点!
それから、旦那と合流。
私は旦那を見て、なんと血の気の引いた顔をしているのだろう・・・と思った。ひげももう伸びてるし。
旦那は、私を見て、金魚!と思ったそうだ。そう来たか・・・うー確かに・・・
帰りは一緒に帰りたかったが、今日会社の引越しをやっているということで、会社に行ってしまった。
本当に慌しい人だ。
でも、親戚のおじちゃん、おばちゃん、いとことも久しぶりにお会い出来たし、とてもいい結婚式だった!(喜)
ソフトクリーム
2003年10月10日明日はアンちゃん(兄)の結婚式だ。
今日は色留袖を取りに行った。(大宮の方)
返しに来るのめんどくさいので聞いてみたら、
宅急便でいいんだって!
本当は今日も行かなくても家に送ってくれたんだって!
なんだ、早く言ってよ。
まあ、今日は大宮にも用事があったのでいいんだけど。
返すのは宅急便にしよう!
さっきチョッと試着してみました!やっぱり着物はいいですねぇー。
でもこの間髪の毛切っちゃったから、うまくまとまるかしら・・・
* * *
帰り、大宮で衝動買いしてしまったスーツを取りに行く。
大宮もルミネが大分変わった。
頑張ってるね!大宮!←私の出身地
帰りにKIHACHIのソフトクリームを食べて帰ってきた。
実は私はソフトクリームが大好きなのです。(*^-^*)
始まりはそう、清里の清泉寮のソフトクリームを食べてから。
感動してしまったのだ。
ジャージー牛のお乳でできたソフトクリーム。
こんな美味しいソフトクリーム食べた事ない!
後ろにいたソフトクリームの似合わないおじさんも
思わず、うまい!って言ってた。
それほど美味しかった。
それから、ありとあらゆる所のソフトクリームを食べてみたが、今のところ清泉寮のソフトクリーム以上の物はない。
でもあれから舌がこえたから、改めて食べたらどう思うか・・・1度しかたべてないし、以外にもなーんだ!と思うかもしれない。
もう1度清里に行きたいなぁ。
---おまけ---
ちなみに1番好きなのはクリームあんみつ。
ただのあんみつじゃなくて、クリームあんみつ。
あんみつの上にソフトクリームがのってるやつ。(*^▽^*)
ケーキよりあんみつ。←クドイ!
今日は色留袖を取りに行った。(大宮の方)
返しに来るのめんどくさいので聞いてみたら、
宅急便でいいんだって!
本当は今日も行かなくても家に送ってくれたんだって!
なんだ、早く言ってよ。
まあ、今日は大宮にも用事があったのでいいんだけど。
返すのは宅急便にしよう!
さっきチョッと試着してみました!やっぱり着物はいいですねぇー。
でもこの間髪の毛切っちゃったから、うまくまとまるかしら・・・
* * *
帰り、大宮で衝動買いしてしまったスーツを取りに行く。
大宮もルミネが大分変わった。
頑張ってるね!大宮!←私の出身地
帰りにKIHACHIのソフトクリームを食べて帰ってきた。
実は私はソフトクリームが大好きなのです。(*^-^*)
始まりはそう、清里の清泉寮のソフトクリームを食べてから。
感動してしまったのだ。
ジャージー牛のお乳でできたソフトクリーム。
こんな美味しいソフトクリーム食べた事ない!
後ろにいたソフトクリームの似合わないおじさんも
思わず、うまい!って言ってた。
それほど美味しかった。
それから、ありとあらゆる所のソフトクリームを食べてみたが、今のところ清泉寮のソフトクリーム以上の物はない。
でもあれから舌がこえたから、改めて食べたらどう思うか・・・1度しかたべてないし、以外にもなーんだ!と思うかもしれない。
もう1度清里に行きたいなぁ。
---おまけ---
ちなみに1番好きなのはクリームあんみつ。
ただのあんみつじゃなくて、クリームあんみつ。
あんみつの上にソフトクリームがのってるやつ。(*^▽^*)
ケーキよりあんみつ。←クドイ!
青森に行くよ!
2003年10月9日今さっき青森にいた時お世話になった看護婦さんとお話をしていました。
今度遊びに行けそう!
以前にも書きましたがバイトで看護助手をしていました。
青森では小児科のバイト。
子供はかわいかったけど、おたふくうつされちゃいました。(涙)
(そこの先生はいい先生だったが、その後の皮膚科の先生はひどかった。)
8/16日記参照↓これ
http://diary.note.ne.jp/37281/20030816
* * *
私は結婚してすぐに青森に行ってたんですよ!
1年3ヶ月ほどいました。
青森は楽しかった!10年分遊んだね。
休みとなると早朝から釣り。
お昼は釣った魚をさばいて、お刺身やフライ、煮付けにして食べ、あまった魚は一夜干しにする。
お昼からはゴルフ。コースも安い!
そして、夜は皆で飲みに行く!
冬は冬で楽しかった。
朝から雪かき。雪をかかないと車が出せない。
ゴルフも出来ないからスキーへ行く。
すぐ近くだから便利だった。
秋は紅葉が素晴らしかった!
奥入瀬も何度も行った。
八甲田山雪中行軍を恐る恐る見に行った。
本当に楽しかった。
そのうち、ある方からうちの会社にきて欲しいと連絡があって会社を辞めた。
そして、今の会社に入って、会社を店頭公開をさせることができた。
店頭公開させるというのは並大抵ではないのに
私にはなぜか公開するという確信があった。
怖いもの知らずだった。
私は證券会社に勤めていた事もあり公開させたら金持ちになるだろうと思っていた。
そしてそれは現実の物となる。
時が良かった。すべて運が良かったのだ。
大変な事もあったが運良く色んな事を切り抜けてきた。
で、最近青森の八戸にうちの会社のコールセンターをつくる事となり、求人募集を100人出した。青森の新聞とテレビには大々的に報道された。
そんな事もあり、旦那は落ち着くまでたまに青森に行く事が増えるでしょう。
友達には「青森に遊びに行くからね!」と言い続けて6年が経ってしまったが、これで青森に行ける!
旦那が青森に行く時は一緒にくっついて行って、足を伸ばして青森市まで会いに行こうと思います。
それから私が体をこわして、思った事がnaruhiさんの日記の中にありました。
『蔵の財より身の財、身の財より心の財 優れたり』
上でも書いた様に、うちはお金はある!
けど、お金よりも体が大切なんですよね。身のほうが大切という事。
そして、その先があるね。体よりも心が大切ということか・・・フムフム。素晴らしい!(解釈違うかな?)
今度遊びに行けそう!
以前にも書きましたがバイトで看護助手をしていました。
青森では小児科のバイト。
子供はかわいかったけど、おたふくうつされちゃいました。(涙)
(そこの先生はいい先生だったが、その後の皮膚科の先生はひどかった。)
8/16日記参照↓これ
http://diary.note.ne.jp/37281/20030816
* * *
私は結婚してすぐに青森に行ってたんですよ!
1年3ヶ月ほどいました。
青森は楽しかった!10年分遊んだね。
休みとなると早朝から釣り。
お昼は釣った魚をさばいて、お刺身やフライ、煮付けにして食べ、あまった魚は一夜干しにする。
お昼からはゴルフ。コースも安い!
そして、夜は皆で飲みに行く!
冬は冬で楽しかった。
朝から雪かき。雪をかかないと車が出せない。
ゴルフも出来ないからスキーへ行く。
すぐ近くだから便利だった。
秋は紅葉が素晴らしかった!
奥入瀬も何度も行った。
八甲田山雪中行軍を恐る恐る見に行った。
本当に楽しかった。
そのうち、ある方からうちの会社にきて欲しいと連絡があって会社を辞めた。
そして、今の会社に入って、会社を店頭公開をさせることができた。
店頭公開させるというのは並大抵ではないのに
私にはなぜか公開するという確信があった。
怖いもの知らずだった。
私は證券会社に勤めていた事もあり公開させたら金持ちになるだろうと思っていた。
そしてそれは現実の物となる。
時が良かった。すべて運が良かったのだ。
大変な事もあったが運良く色んな事を切り抜けてきた。
で、最近青森の八戸にうちの会社のコールセンターをつくる事となり、求人募集を100人出した。青森の新聞とテレビには大々的に報道された。
そんな事もあり、旦那は落ち着くまでたまに青森に行く事が増えるでしょう。
友達には「青森に遊びに行くからね!」と言い続けて6年が経ってしまったが、これで青森に行ける!
旦那が青森に行く時は一緒にくっついて行って、足を伸ばして青森市まで会いに行こうと思います。
それから私が体をこわして、思った事がnaruhiさんの日記の中にありました。
『蔵の財より身の財、身の財より心の財 優れたり』
上でも書いた様に、うちはお金はある!
けど、お金よりも体が大切なんですよね。身のほうが大切という事。
そして、その先があるね。体よりも心が大切ということか・・・フムフム。素晴らしい!(解釈違うかな?)
適応機制
2003年10月8日 勉強φ(・_・。 )naruhiさま
勝手ながらお気に入りに入れさせていただきました。(*^▽^*)
素敵なお医者様になってくださいね。応援しています。
今日も水曜日なのでゴルフのレッスン♪
昨日は暗〜い日記になってしまいましたねぇ。
とりあえず出血はおさまりましたが、ゴルフでこんなに腰動かしちゃっていいのかしら・・・
* * *
そして引き続き暗〜く行こうかな。
私が手術をして、家に帰ってきてからと言うもの
安静安静で、寝ながらテレビを見る毎日。かなりグータラ。
ちょうどその時朝の連続ドラマで『まんてん』というのをやっていた。
このNHKの朝の連続ドラマを見出したらおばさんと思っている私。
この時はあまりの暇さでこれを見ていた。
内容は一人の女の子が、宇宙を目指して1から勉強をして宇宙飛行士になるというもの。
その女の子は素直で本当に元気。周りを明るくさせてくれる。そんな役だった。
術後の検査結果で病名が分ってから2週間が辛かった。
子宮を失うかもしれない・・・そう思っていた。悲劇のヒロイン。(笑)
『まんてん』を見ては、その元気な姿が羨ましくて泣いた日もあった。
元気、ただその1点で泣けてしまうのだ。
あたりまえなのだが、健康がどれほど素晴らしいものかを実感した。
車に乗って、サラ・ブライトマンのタイム・トゥ・セイ・グッバイの中でサラとデュエットしている盲目のテノール歌手アンドレア・ボテェリの声を聞いただけでまた泣ける。
盲目なのに一旦は弁護士となりその後音楽の道へと進むのだ。
その努力を思うと泣ける。どれほど努力をしたか。並大抵ではなかったと思う。
そう思っただけで泣けるし、またいい声なのだ。
それまでは良い曲だなぁーと思う程度だったのに。
この時からパソコンで色々と調べだしていた。
その度に一喜一憂するのだが・・・
確かに色んな不安に襲われた。
でも今は開き直っている。
これら一連の経験で私は感じた事がある。
昔何かの時学校で習った事があるが、適応機制だ。
日常でも行われているこの適応機制があって、人は心の安定を保っている。
辛くても、ずーっとそのままではない。
時間が解決してくれるとは言うが、私達はもともと心の安定をはかる機能を備えているのだ。
これがうまく働かないと病気になってしまうのかなぁ。
例えば、面白いのでは、好きな人がいるが、その人は他に好きな人がいるので諦めなければいけない。
そんな時でも、自分が辛くならないように自分にいい都合をつける。などなど・・・
http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj2002/50261/heart03.htm
↑を見ると詳しく出ている。あんまり興味ないかな。
だから、人は前向きになるようになっているのだ。
たまに不安に襲われるが大丈夫なのだ。たぶん、、、
勝手ながらお気に入りに入れさせていただきました。(*^▽^*)
素敵なお医者様になってくださいね。応援しています。
今日も水曜日なのでゴルフのレッスン♪
昨日は暗〜い日記になってしまいましたねぇ。
とりあえず出血はおさまりましたが、ゴルフでこんなに腰動かしちゃっていいのかしら・・・
* * *
そして引き続き暗〜く行こうかな。
私が手術をして、家に帰ってきてからと言うもの
安静安静で、寝ながらテレビを見る毎日。かなりグータラ。
ちょうどその時朝の連続ドラマで『まんてん』というのをやっていた。
このNHKの朝の連続ドラマを見出したらおばさんと思っている私。
この時はあまりの暇さでこれを見ていた。
内容は一人の女の子が、宇宙を目指して1から勉強をして宇宙飛行士になるというもの。
その女の子は素直で本当に元気。周りを明るくさせてくれる。そんな役だった。
術後の検査結果で病名が分ってから2週間が辛かった。
子宮を失うかもしれない・・・そう思っていた。悲劇のヒロイン。(笑)
『まんてん』を見ては、その元気な姿が羨ましくて泣いた日もあった。
元気、ただその1点で泣けてしまうのだ。
あたりまえなのだが、健康がどれほど素晴らしいものかを実感した。
車に乗って、サラ・ブライトマンのタイム・トゥ・セイ・グッバイの中でサラとデュエットしている盲目のテノール歌手アンドレア・ボテェリの声を聞いただけでまた泣ける。
盲目なのに一旦は弁護士となりその後音楽の道へと進むのだ。
その努力を思うと泣ける。どれほど努力をしたか。並大抵ではなかったと思う。
そう思っただけで泣けるし、またいい声なのだ。
それまでは良い曲だなぁーと思う程度だったのに。
この時からパソコンで色々と調べだしていた。
その度に一喜一憂するのだが・・・
確かに色んな不安に襲われた。
でも今は開き直っている。
これら一連の経験で私は感じた事がある。
昔何かの時学校で習った事があるが、適応機制だ。
日常でも行われているこの適応機制があって、人は心の安定を保っている。
辛くても、ずーっとそのままではない。
時間が解決してくれるとは言うが、私達はもともと心の安定をはかる機能を備えているのだ。
これがうまく働かないと病気になってしまうのかなぁ。
例えば、面白いのでは、好きな人がいるが、その人は他に好きな人がいるので諦めなければいけない。
そんな時でも、自分が辛くならないように自分にいい都合をつける。などなど・・・
http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj2002/50261/heart03.htm
↑を見ると詳しく出ている。あんまり興味ないかな。
だから、人は前向きになるようになっているのだ。
たまに不安に襲われるが大丈夫なのだ。たぶん、、、